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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

寒さのせい

最近、気づいたらTwitterを十八時間くらい見ていなくて話題についていけないし発言したいことも特に無い、ということがよく起きて戸惑っている。昨年の九月にスマホからアプリを消して数ヶ月、望んだ通りの成果が出たと言えるのだが何か釈然としない。これはもしかすると老いなのではないか。中年になって急に揚げ物やアルコールがだめになるみたいに、情報の奔流に胸焼けがするようになっているのでは……。冬の底は毎年絶不調なので、単に寒さのせいだと思いたい。カフェイン錠とビタミン剤と強壮剤とやる気がでる(と言われている)サプリを三種類飲んでようやく通常の七割くらいの元気さをキープしている。

 

今日は文学フリマ京都をちょっとだけ見に行った。犬と街灯のスペースとバゴプラさんのスペースに立ち寄って、あとは下調べなしでうろうろした。東京の何分の一の規模ではあるけれど、自分の足が止まるスペースは界隈ですでにある程度名が知られているか、知人~知人の知人の名前があるか、テーマが明確で自分の興味と合致しているか、デザインが優れているかだ。「知らない人の表紙なし平綴じコピー本を手に取ったら存外良かった」みたいな出来事は、自分に限っていうとほぼない。要するにディグるのが下手なのだと思う。見本誌コーナーで青いゴム手袋をはめて本を物色していると、そういうかなり単純な消費者である自分を背後で眺めている自分、みたいなものが立ち上がってきてしょんぼりした。しょんぼりついでに言うと、頒布物に「書くことは素晴らしい」「それでも書き続けるんだ」という感じのものがたくさんあって、自分でも内心書くことには素晴らしい面があると思っておりその理由をいくつか挙げることができるにもかかわらず、また個々の作品に対しては何も思わないのだが、そういう頒布物が場に複数集まっていると強く反発したくなるのはなぜだろう。ああ、やっぱり文学フリマは出る側が一番楽しいですね。それでも目当てにしていた本が買えて嬉しかった。帰りに府立図書館で資料を借りた。貸出不可の『国際昔話話型カタログ 分類と文献目録』、欲しいけど買うと二万円する。二万か~。