/* 本文の位置 */ #main { float: left; } /* サイドバーの位置 */ #box2 { float: right; }

蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

子どもの頃に書いた小説

先日寒さで動けず寝床でうめきながらTwitterをしていたら、あるツイートから記憶の蓋が開いて子どもの頃に書いた小説のことを思い出した。他人が読んでおもしろいもんではないと思うけどここにメモしておくことにする。

 

きっかけはこのツイートだ。NHKラジオの『冬休み子ども科学電話相談』に寄せられた質問。

 ここから、そういえば私は昆虫好きだし蜂本って名乗るくらい蜂も大好きだから蜂蜜を通じて蜂の唾液ゴクゴク飲んでるという事実に対してもむしろ望むところだ(?)って感じだけど虫嫌いの人は違和感ないのかなと考えはじめて、子どもの頃の記憶がいろいろ蘇ってきた。

 

 

子どもって「虫」と「死」に過敏に反応しません? 怖がったり魅入られたり反応はいろいろだけれども。というか、まだ幼く無力な自分にもごく簡単に殺戮できる虫という生き物を通して死の輪郭を掴むのかもしれない。

で、ここからさらに話は飛ぶのですが、私が国語の授業とか関係なく初めて自発的に小説らしきものを書いたのは、小学四年生だったと思う。母が文学好きで、時々公募に出していた記憶があり、子どもなりにそれを真似したのだろう。それはこういう話。

 

「かまきちくんの冒けん」

卵嚢から這い出たかまきちくんは刺激の多い外の世界に戸惑うが、獲物が通りがかった瞬間本能的にそれを捕らえる。お腹が満ちたかまきちくんはきょうだいかまきりに誘われ、かまきりの子どもたちが通う学校に向かう。未完。

 

人生で最初に書いただけあってけっこう記憶に残っていて、たしか最初の獲物を狩るシーンを克明に描写した時点で満足してしまってすぐやめたおぼえがある。当時カマキリは一番好きな昆虫で、自宅でもよく飼っており、虫かごにバッタなどを入れて狩りをさせるのが大好きだった。狩りの動作の前に鎌をぴたりと合わせて静止する様を「おいのりをするように」などと描写しており、静かで神聖な行為と一瞬間のちに行われる残酷な自然の所業のコントラストに惹かれていたと思われる。生まれたばかりで右も左も分からない赤ちゃんかまきりが、それでも狩りの本能を持っている、というところも魅力的だった。しかしいかんせん狩りのシーンで書きたいことは書ききってしまったためストーリー展開に困り、自分が唯一知る社会である学校を舞台に出してはみたが、冒頭とのリアリティのバランスが崩れて書くのをやめたのだと推測できる。

 

次に書いたのは数年後でおそらく中学一年生か二年生。新聞に子どもが投稿した短い物語を掲載する欄があり、これなら私にも書けそうだと思って書いた。

 

「糸繰り女」

昔むかしある村に糸繰り女がいた。女は蚕を飼い、繭を煮殺して撚り合わせた糸を作って生計を立てていた。しかし暮らしは貧しかった。女は期日に間に合わせるために何日も何晩も糸車の前に座っていた。左手で糸を撚り、右手でからからからと糸車をまわす。乾いた音の中で幾日もそうしているとまだ糸が足りないのに繭がなくなってしまった。すると左手の指先から不思議な糸が伸びはじめ、女はこれで約束に間に合うと胸を撫でおろす。夜が明ける頃、女の姿は消え、世にも美しい糸の束が残された。

 

投稿前に国語の先生に読んでもらい、「独特の世界観が……」みたいなあたりさわりのないコメントをもらったようなおぼえがある。渾身の一作だと思っていたが、子どもの書いた温かい物語を求めている投稿欄に掲載されるはずもなく没になった。そのギャップは当時の自分でも分かっていて、それでも我ながらよく書けているから載るだろうと思っていた。

私には「連続する呻り/とどろき/機械音/ざわめきが鳴り響く中で自我の境界が揺らぐ」という場面に執着があるらしく、小説を書き始めてまだ日が浅いのにもう何回も書いているのだけど、すでにその兆しが見られる。

 

次も同じ時期に書いた掌編で、これは通販会社が主催するショートストーリーの公募に出したもの。記憶が薄いので一部補完しているけどこんな話だった。

 

「飴売り」

夜遅く私ががらんとした電車に揺られていると、ひと気のない駅で知らない男が乗りこんでくる。お互い長旅だったので暇つぶしに世間話をする。私が飴を分けようとするが、男は強い口調で断り、飴にまつわる幼い頃の記憶について話しはじめる。男の村には飴売りの行商がよく来ていて子どもたちの人気者だった。真っ赤な飴玉は大きくつややかで光に透かすと美しく、何より素晴らしい香りがした。飴売りはいつも優しかった。男は子どもたちの中でもとくに飴売りに懐いていたし、飴売りの方でも男を気にかけてくれていた。ある日男はどうしても飴をつくるところが見たいと駄々をこねた。飴売りは渋っていたがとうとう連れて行ってくれることになった。飴売りの住み処には飴を煮る大きな鍋があり、甘い匂いがした。そして裏手に香りのもとになる薬草を育てる畑があったが、飴売りは薬草にぼってりとした大きな芋虫がたくさんたかっているのを見ると舌打ちをして、油を入れた椀に芋虫を次々と放り込みはじめた。優しかった飴売りがあまりにあっさりと芋虫を殺すので男はショックを受けた。しかし飴売りにとって芋虫は単なる商売敵であり、命があることすら認めていないようだった。今まで自分が舐めてきた飴玉が無数の犠牲の上に作られていた事実を知り、恐ろしくなった男はひとりで村に逃げ帰った。その日から男は飴が食べられなくなった。

 

猫を溺愛する田舎の祖父母が家庭菜園につく害虫を殺しまくっていたところを見て生まれた話だ。昔の子どもにとって虫を殺すのなんかそれこそ遊びの範疇だろうから大きなショックを受けるのはおかしい気もする。

公募に出したあとどうなったかというと、しばらくして私宛に電話がかかってきた。相手は女の人で、公募を主催する企業を名乗り、あなたの作品は素晴らしいからぜひ受賞作のアンソロジーに収録したい、つきましては出版費用がかかるので十万円だか十八万円だかを払ってほしいと言う。ちょっと考えて断ると、女の人は「描写が素晴らしい、ぜひ世に出したい」云々とほめてくれたが、やっぱり断った。そんなに素晴らしいのに向こうではお金を出さないのだな、と電話を切ってから思った。まあ公募と謳ってはいるが自費出版商売のいい撒き餌だった訳で、その時は腹が立ったけれどそこにこういう話を投稿したことは皮肉がきいている。悪くない出来事だったと今は思えなくもない。

 

以上が急に思い出した子どもの頃の創作に関する記憶だ。ここまででお気づきかもしれないが、「虫」と「死」の話書きすぎである。小さな頃から興味の幅が人より狭く、昆虫なり漫画なりこれと決めた対象に強くとらわれてしまう子どもだった。友達にも自分の興味のあることしか話さないので時々うっとうしがられていた。どっかで変だぞとわかっているけど思考のコントロールがきかなくなるのだ。恋みたいなもんで、そうすると私は「虫」と「死」に恋していたのかもしれない。

 

ちなみに「虫」と「死」の話は今も書いています。

さいりうむ|蜂本みさ|notenote.com

 

【お知らせ】

VG+(バゴプラ)のSF短編プロジェクトに「冬眠世代」という作品で参加しています。依頼を受けてオンラインの媒体に小説を書くのはこれが初めてです。12月26日からサポーター限定で先行公開が始まりました。1ヶ月後には無料で一般公開されます。読んでね。

virtualgorillaplus.com