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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

亀仙流

今日は仕事で出かけてたっぷりと歩いた。日中は暖かかったこともありいい散歩だった。リュックにノートPCを入れていったのは失敗した。出かける支度をする時、電車移動が長いのもあって「空いてたら移動中に仕事できるかも」と思って毎回荷物に加えてしまうのだが、案の定というかなんというか実際に開く率はそんなに高くない。今日もそうだった。というかノートPCを入れた直後に『ネットワーク・エフェクト』もリュックに入れて「続き楽しみだな~」とか思っており、その時点で自分が二つに分裂しているのだが、支度をしている時は気付かない。今日は『ネットワーク・エフェクト』を読む方の自分だった。弊機とARTの険悪な友情がとてもかわいい。さらに最悪なパターンとしてノートPCと本を持っていったがずっとスマホでネットサーフィンをしている日もあるので、わりと上等な日だったと言える。

開きもしないノートPCは重石にしかならない。携帯性の良い機種でもないため普通にでかいし、重い。だいたい私の仕事用リュックはクソでかく、こないだ他人に後ろ姿の写真を撮られたのを見たらジェットパック背負ってるのかと思った。が、たとえ使うことがほぼなくてもいざとなれば使えるという可能性を残しておきたいのだ。そんなクソデカ激重リュックを背負ってわしわし歩いていると小学生の頃を思い出した。翌日の時間割に合わせて毎日教科書を出し入れすることが壊滅的に苦手だった私は、全科目の教科書をランドセルに常にびっちり詰めておくという力技でこれを解決していた。当然ランドセルはものすごく重い。背中に重心が傾いて油断するとひっくり返りそうになる。しかしこのスタイルを「鍛錬」と呼ぶことで正当化していた。ドラゴンボール孫悟空だって、亀仙人のもとで重たい亀の甲羅を背負って修行したではないか。会社を辞めて無職を謳歌していた四年前、友人と友人夫婦、その赤ちゃん、同居人、私というオール無職のメンバーで二週間の北海道旅行を敢行した際、その場にいる大人が全員「鍛錬」スタイルで通学していたことが判明し、ぞっとしたことを覚えている。

 

帰りに成城石井で三割引になったちりめんじゃこをゲットし、夕飯に大根おろしを乗せて醤油を垂らして食べた。ちりめんじゃこはこの食べ方が一番好きだ。ちょっとどうかしているくらいおいしい。なんでこんなにおいしいのだろう。実家で度々副菜として出ていて、レシピなんかないと言っていいくらいシンプルなので再現性が高いということはあるかもしれない。それにしてもおいしすぎないか。何か化学反応でも起きているのか。ちりめんじゃこが寄り集まると小さな隙間がたくさんできて、そこに大根おろしと醤油がたっぷり染みる。口に含んでまずは汁気を味わい、満を持してちりめんじゃこを噛みしめると魚の味と塩気がワ~ッと広がってうまい、うますぎる。時間をかけて噛み締めてしまうこの感じもおいしさに拍車をかけている。今日の大根はひからびかけたしっぽの部分で水気が少なく、舌がびりびりするほどからくてそれも良かった。おかずは何品かあったのだけど、「ちりめんじゃこと二人きりになりたい」というキショい気持ちが湧いてきて、他のおかずを食べきってからあらためて御飯とちりめんじゃこで夕飯を締めくくった。最高だった。しかもパックに意外とたくさん入っていたのでもうしばらく楽しめそうだ。

 

脈絡ないけど先日散歩中に「三角コーンの墓場」という歌を作ったのを思い出したのでここにメモします。

 

「三角コーンの墓場」

作詞・作曲 蜂本みさ

 

三角コーンのは・か・ば

三角コーンのは・か・ば

 

バリバリに 割れている

跡形もなく 割れている

 

三角コーンのは・か・ば

(ハイ)

三角コーンのは・か・ば

 

三角三角三角三角

コンコンコンコンコーンコーン

 

三角コーンの

墓場!