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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

インターネットに接続されていません

昨日はマクドにこもって仕事をした。なぜかというとWi-Fiの契約が切れて今自宅にインターネット環境がないからで、いろいろな都合で三日ほど我慢してから次を申し込んだ方が得になるため、そういうことになっている。
ところで私はついTwitterをやりすぎるので、普段はスマホTwitterアプリを入れないようにしている。アクセスは基本的にパソコンからのみだ。しかし今の状況では自宅にいると完全にTwitterからシャットダウンされてしまう。それで一時的に、と思って再度アプリをインストールしたら、あっという間にスワイプ妖怪他人のいいね欄のぞき太郎に戻ってしまった。依存症でいうスリップというやつだろうか。私の性根はちっとも治ってなどいなかったのだなあと悲しい気持ちになった。
タイムラインを見ていると、みんなTwitterをもりもりやりながらフルタイムで仕事して読書して政治情勢をチェックして発言して料理して映画観て運動して小説や作品を作ってなんなら育児までしているように見えるんだけど、どうやって時間を使っているんですか? 考えるのも体を動かすのも人よりゆっくりなのは、まあそうだろうけど、先日なんか岸政彦さんの『大阪の生活史』プロジェクトが動き出したら聞き手に応募したいな、話を聞くのは誰にしようか……などと妄想していたら一日が終わっていて愕然とした。頭の中がとっちらかりすぎている。牧羊犬がほしい。めいめい(ダジャレ)勝手に散らばっていく思考の羊たちをいい感じに追い立てて群れにまとめてくれる牧羊犬だ。黒い毛がつやつやしたボーダーコリーがいいな。

足跡探偵

比叡山に登った。一月頃から軽めの冬山登山がしたいね、比叡山延暦寺でおみくじを引きたいねなどと言っていたのだが、伸び伸びになって二月末になってしまった。

登山はきつかった。なるべく歩くようにはしているが運動らしい運動もしていないから当然だ。一夜明けた今、すでに尻の両脇が痛い。坂を上るとここの筋肉を使うんだなとわかる。

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半分ほど登ったところで雪が増えてきた。春めいた日でふもとはかなり暖かかったのだが、山の上はしっかり積もっていた。道が山の北側に差し掛かるとあたりはすっかり真っ白になった。登山客にはあまり出会わなかったがそれなりにいるようで、道は踏み固められているし足跡もしっかりついている。足跡を見ながら歩くのは面白い。登山靴の跡、ストックの丸い跡、よく見ると犬の足跡もある。どんな犬だろう、雪にはしゃいでいただろうか、むき出しの肉球に雪は冷たくなかったろうか。さらに気をつけていると、山の獣の足跡もかなりの数見つかった。ゆったり歩く鹿の足跡。少し珍しいのはけづめが付いた猪の足跡。獣たちは登山道をおおむね無視して、急斜面を突っ切ったりしている。

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「これはウサギかな?」「ウサギにしては小さくない? ネズミじゃないか」「子ウサギかも」「いやこっちの続きを見て、しっぽの跡がある」などと話すのは、探偵のような気分になって楽しい。まあ、知識があるわけではないので当たっているのかどうかわからないけど。

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これは何かの鳥の足跡。キジか、山鳥かな? と思う。

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倒木をつたって登山道に降りてきたようだ。

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不思議と獣に人気な、やたらに足跡の多い獣道もある。

 

普段雪の少ない地方に住んでいることもあってとても楽しかった。

 

比叡山延暦寺に到着するともう午後遅い時間だった。本当は東塔、西塔、横川と三つのエリアに分かれているのだが、時間がなくて東塔しか見られず。東塔だけでも広くてけっこう見どころが多かった。根本中堂は現在十年間の工事中(平成の大改修)で、二〇二六年までかかるらしい。気の長い話だ。そういうわけで建築物全体は無骨な工事用の建物にすっぽり飲まれていたけれど、工事中の屋根や大改修についての映像などが見られてこれはこれで面白かった。

お目当てだったおみくじだが、東塔にはなんとおみくじがなかった。代わりに献灯のろうそくがいくら、線香がいくら、護摩木がいくら、絵馬がいくらというふうに、奉納するところがたくさんあった。「占いなんかするくらいなら願いごとしてしっかり拝んどきなさい」的な態度を感じる。帰ってから検索したところ横川にはおみくじの元祖とも言われる元三大師みくじというのがあって、しかしそれも予約をして願いや悩みを紙に書いて面談をしておみくじを引くかどうか決めて引いたら解説をしてもらって……という気合の入ったものらしい。年初は普通のおみくじが引けるそうだが、何にせよさすが比叡山延暦寺、ものが違うぜという感じだった。ひと撞五十円の「開運の鐘」で「いい小説が書けますように!」とお願いして鐘を撞いた。

下山してさあ帰ろう、という時にテンを目撃してテンションが上がった。冬毛でふわっふわで、薄いクリーム色で、しっぽの先が白かった。

 

霜柱

今日からまたちょっとずつ日記をつけたい。短くていい、いいことや面白いことを言わなくていい、時間をかけなくていい、書くこと自体に楽しみがあればいい、って思ってるのに何回でも失敗する。

 

仕事で山を訪れた。大昔は里山だったのだが今はひと気が絶えて有志の手で整備されている。少し上ると隠し田があった。忍び田ともいうそうで、昔は年貢が厳しくて自分たちの食べる分がなくなってしまうので、こうして山の中に小さな田んぼを作った。まあ脱税ですね。知らずに見ても赤茶けた池にしか見えない。そばには柿の木があるし、綿なんかも栽培していた痕跡があるそうだ。少しでも生活を楽にするために作られたのだろうけれどのどかな風景を想像してしまう。希少なカエルが卵を産んでいた。

水面には氷が張っていた。田んぼに水を供給するパイプのあたりは飛沫が散るらしく、そばの枯れ草についた水滴が凍ってじゃらじゃらとつららになっていた。なんだか鍵束かクリスマスのオーナメントみたいだった。田んぼの脇に湿っぽい土が露出していて、白い小さいものが光るのでよく見たら霜柱だった。やったー。私の住んでいた土地には霜柱というものはめったに現れなくて、冬の朝早くに田畑へ行けば見られたのかもしれないが、ほとんど経験がない。手のひらに取って見ると霜柱はまっすぐ育たずにカールしていた。すごくきれいで口に含みたくなる。霜柱をばりばり踏んで歩くのが夢なのだが、踏むにはずいぶん小さかった。

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少し前から梅崎春生にはまっている。青空文庫でタイトルあいうえお順に読んでいて、今は『桜島』。梅崎春生の作品には九州で暗号兵をしていた頃の体験を反映したと思われるものが多い。それから、些細な会話や事件がその後の人生を大きく変えてしまう、という筋書きも多い。たとえば『狂い凧』は双子の兄弟の人生をたどる話だけれど、弟がひとり東京へ出ていくことになるきっかけは、友人たちと起こしたうどん食い逃げ事件だったりする。なのに面白い。しかし今日はロシアがウクライナを侵攻し続けていることもあって、敗色濃厚な時期の軍隊の描写と距離をとるのが難しくて集中できなかった。

 

帰ってから遅い昼食に猪骨ラーメンを食べた。同居人が獲った猪の骨を気長に煮て豚骨ならぬ猪骨スープを作るという初めての試みをやったんだけど、大正解だった。薬味も入れずにただ水で骨を煮て、そこに猪の肉を入れて煮猪を作りつつスープに肉のダシを足し、最後に植物性のダシが欲しいということで昆布を足し、ラーメンにする時は薄口醤油で塩気をつける。めっぽう美味しい。具は煮猪と味玉と葱。豚骨ラーメンってなんとなく苦手でお腹を壊しやすく、あっさりしたラーメンの方が好きだったけどこれは気に入った。お店の豚骨ラーメンはドロドロ志向が強いし(京都のラーメンがこれまたドロドロスープが多いのだ)、背脂とか化調が合わなかっただけなのかもしれない。ただやっぱり脂はすごいので今これを書いている二十二時現在もまったくお腹がすかない。今日はお茶漬けか何かで済ませようかな。

歌声 『琵琶法師 山鹿良之』@京都みなみ会館

日曜日に思い立って京都みなみ会館で『琵琶法師 山鹿良之』を観てきたんだけど、映画館へ向かう途中でなかなか印象深い出来事があった。

朝早くから仕事で奈良に行っていた。予定通り終われば余裕で上映時間に間に合うはずだったが三十分ほど押し、最寄り駅からではぎりぎり間に合わない。そこでタクシーの行き先を少し遠くにある馴染みのない駅に変えて、そこから向かうことにした。ゆっくり昼食をとる時間がないので駅前のコンビニで適当におにぎりとかを買う。軒先の小さなベンチに腰掛けてもそもそやっていたら、遠くの方から声がした。「タぁ~~ルゥルララァ~らりる~~~」と聴こえる。歌声だ。いや、奇声かもしれない。ちょうどその間くらいで、どっちなのだかわからない。「タぁ~~ルゥルララァ~らりる~~~」「タぁ~~ルゥルララァ~らりる~~~」と同じフレーズを繰り返しながらだんだん声が近づいてきて、曲がり角からゆっくりとおじいさんが現れた。白髪で、ものすごく腰が曲がっていて、老人がよく押しているチェック模様のカートを押している。そして変わらず朗々と「タぁ~~ルゥルララァ~らりる~~~」とやっている。足元はフラフラしているし、目はどこを見ているのかわからないし、ちょっとぼけているのかな、と思った。でもいい声だ。遠くにいる時は遮蔽物があるせいか奇声っぽかったけれど、こうやって近くで聴くと練習を積み重ねた声だとわかる。そのほか全部がおぼつかない感じなのに声だけが力強く若々しくまっすぐだ。いやいや待てよ、あまりにも上手い歌声って日常から逸脱していて、この距離だとやっぱり奇声に聴こえるな。そんなことを考える間におじいさんはよろめきつつも歩を進め、コンビニに入っていった。あの発声は声楽なのかなあ。オペラとかやってたのかもしれない、しらんけど、などと思いながら続きを食べていると、「悪いけど座らせてくれる」と声がして、顔を上げるとさっきのおじいさんだった。手に小さなビニール袋を提げている。「どうぞ、もう食べ終わりますから」と立ち上がると、「悪いなあ」と言っておじいさんはベンチに腰掛け、袋からワンカップ酒を取り出して飲み始めた。おお、そういう感じの日曜ですか。去り際、いい声ですねと声をかけようかとも思ったが言い出せず、「ほなさいなら」とだけ挨拶して駅の方へ歩き出した。改札をくぐるあたりでもう一度「タぁ~~ルゥルララァ~らりる~~~」が聴こえた。

 

ところ変わって京都みなみ会館。上映時間に無事間に合った。同居人も観に来ていた。『平家物語』を読み終えてからというもの、我々は琵琶に興味津々なのだ。『琵琶法師 山鹿良之』は明治三十四年生まれの”琵琶弾きさん”である山鹿良之さんを追ったドキュメンタリーで、一九九二年の作品。「小栗判官」の琵琶弾き語りの合間に、山鹿さんの生活や周囲の人々、琵琶と密接な関わりを持つ熊本県の宗教行事の様子などが映し出される。山鹿さんは僧侶でもあって、朝は勤行から始まるし、かまど払いに呼ばれればお経を唱えて琵琶を弾く。つまり誇張でもなんでもなく、山鹿さんは琵琶法師なのだった。琵琶の弾き語りについては、すごい、としか言いようがない。撮影当時九十一歳、若い頃に左目を失明して右目も光を感じる程度にしか見えず、老齢が重なって耳は遠くなり、手にもしびれが来ている。それでも舞台で語り、地域の夜籠りで弾き、弟子の前で語り、小栗判官の墓前で弾く。琵琶を抱えた山鹿さんは、琵琶と身体がくっついてしまっているように見える。琵琶を弾くこと物語を語ることが、生活にも仕事にも人間関係にも信仰にも、あまりにも深く食い込んでいる。

前日とこの日だけは十六ミリフィルムでの映写で(そのために上映前に音声が出ないトラブルがあった)、上映後には玉川教海(片山旭星)さんによる口演も行われた。映画で山鹿さんの弟子として登場する方だ。初めて聴く生音の琵琶で感激だった。演目は、ひとつが「小栗判官 照手姫」から「もの狂い」の場面。いろいろあって殺されたものの閻魔大王のはからいで目も耳も口もきけず動けない餓鬼の姿となって現世に戻った小栗判官は、土車に乗って道行く人々に曳いてもらい、熊野の権現と薬湯を目指して旅をする。こちらもいろいろあって青墓宿でこき使われている照手姫が餓鬼を乗せた車を見つけ、目立つ美貌を隠すためにもの狂いの格好をして、愛する小栗判官だとも知らず街道を押していく、という場面。餓鬼車(すごい名前だ)をひと引きすれば千僧供養、ふた引きすれば万僧供養のご利益がある、とすることで動けなくても目的地まで運んでもらえるギミックとか、愛する人だと知らずに手助けするという展開がおもしろい。「エイサラエイ、エイサラエイ、エイサラエイサラエイサラエイ」という掛け声も印象に残った。

もうひとつは山鹿さんから伝えられたという端唄で、「り(き?)をあらためる」という題名、意味は謎。新年に歌うものだそうで、七福神の乗った宝船が乗り付けてきて舞って歌って大宴会、松の枝には米や金がなり鶴が降り立ち亀がはいのぼる……(うろ覚え)という感じでとにかくめでたいめでたい歌だった。

平家物語』を読み終えてから物語を声で語ることについてずっと考えていた。そのピースがひとつはまった、ような気がする。それから映画を観ている間もときどき、コンビニで出会ったおじいさんのことを思い出した。ある種の人間はどんなになっても芸術に取り憑かれたままで、きっと死ぬまで互いの手を離さないのだということを。私はどうだろう。