/* 本文の位置 */ #main { float: left; } /* サイドバーの位置 */ #box2 { float: right; }

蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

点取日記 6 Marie is here.

帰宅が0時を回っていたのでそのまま寝てしまったが、昨日は新居の掃除をしていた。

 

小さな部屋だからとなめてかかっていたものの、拭き掃除・ホウキ・モップ・乾拭き・掃除機・ワックスがけと、一連の作業をやったら2時間ほどで汗みずくになり、両親と半同居人がいなかったら丸一日かかっていたかもしれなかった。

 

それというのも、引っ越し先は新居と言うにはあまりに古い部屋なのだ。推定築100年以上だと管理会社の人は言っていた。それがどこまで正確な数字なのか知る由もない。しかし少なくとも共用部分の壁には「申合ハセ」という看板がかかっており、蓄音機ハ午后一時位マデ」などと書かれている。

 

私が住む部屋は何代か前に補修されたらしいが、それでもあちこちに以前の住人の痕跡を見つけた。

 

柱や壁に自分で取り付けたと思われるフックが残っている。

扉の内側の一部分だけが物で削れたように、または猫が爪とぎしたように毛羽立っている。

キッチンのタイルがそこかしこ剥がれ落ちて、それを埋めるタイルっぽいシールが涙ぐましい。

なぜか天井に穴が空いている。さらになぜか小さな大聖堂の絵がそれをふさいでいる。

作り付けの引き出しの奥からは昭和29年の新聞が出てきた。

 

一番おっ、と思ったのは、クローゼットにもぐりこんで中を雑巾で拭いていた時だ。

白く塗られた壁にひっかき傷のようなものが連なっていて、顔を近づけてみると

 

Marie is here.2006.11.30

 

と書かれていた。

築100年の歴史に比べるとずいぶん最近だ。マリーなのかマリエなのかわからないが、部屋を出ていく時に感傷的になって書きつけたのだろう。

 

この建物はすごくたくさんの人に愛されてきたのだ。私はといえば正直に言ってあまりにも建物がボロいのでこの夏、そして冬を耐えきれるのかを心配している。そしてマリーさんかマリエさんが暑くて夏バテしたり、寒くて風邪をひいたりしなかったかを心配している。

 


f:id:hachimoto8:20180716120527j:image

「私にたのみたい事がありますか 6点」

 

迷子らしい少年の困り顔と、警備員さんのような格好の女性の手がいい。

 

また、誰かわからない「私」が登場した。

6点なのでこの「私」はきっと点取占い(の作者)自身なのだと思う。

数十年前に書かれたはずの手助けの言葉が、手紙みたいに私に届くなんて面白い。

点取日記 5 ぼやけた気球

コンタクトレンズがなくなりそうだったので作りに行った。

いつも行くコンタクトレンズ屋のすぐ横に眼科があり、処方箋が切れている時はそこで診察をしてもらう。眼球のチェックと、試供品のコンタクトレンズをつけて視力検査するのだ。そんなに時間もかからない。

 

今日は最近気になっていたので「時々左目がかすみます、視力が落ちてるかもしれません」と眼科医に相談した。今回の担当は眼鏡をかけた男の人だった。

ここの医院の診察室は少し変わっていて、広い部屋に椅子が数脚置いてある。椅子に患者を次々通して3人ほどの眼科医でそれをまわす。私の隣では女の子がカラコンのつけ比べをしていた。おそらくコンタクトレンズ処方に特化した医院なのだろうと思う。

半年ごとに診察をしてもらうが同じ人に診てもらった記憶が一度もない。アルバイトなのか、ひょっとしたら眼科医ではなく別の医療職なのかもしれない。

 

時々左目がかすむと言ったら、「じゃあそれも診ていきますね」とその人は言い、例の機械のところに案内された。双眼鏡みたいな物が付いていて、顎を乗せる台にグラシン紙らしき紙が積んであるやつだ。

あの中に入っている気球の写真がけっこう好きだ。真っ直ぐな道が地平線まで続いていて、青空にカラフルな気球が浮いている写真。この世のどこでもない感じがするし、周りの無骨な機械や金属の冷たい器具とのギャップもいい。

 

機械を覗くと右目にぼやけた気球が写り、次の瞬間ギュギュッと音がして映像が明晰になった。左目も同じ。ぼやけた気球が写る。ギュギュッ、明晰になる。

 

次に視力検査ボードの前に通された。私にあのスチームパンクみたいな検査用の眼鏡をかけさせながら、「左目がかすむのはね、視力じゃなくて乱視の影響かもしれません。疲れた時だけかすみません?」と眼科医が言う。その通りだった。

何十個ものレンズが並んだトランクから何枚かがカチカチと眼鏡にはめ込まれると左目が見えやすくなった。やはり乱視らしい。

しかし、コンタクトレンズで乱視を調整するのは難しいし、時々かすむ程度ならこれまでどおりでいいと思います、と勧められた。

 

それでコンタクトレンズは諦めたが、ついでに眼鏡の処方箋も書いてもらうことにした。今の眼鏡は10年以上前に作ったので度が合っていないのだ。

「わかりました」と言って眼科医がまた別のレンズを差し込むと視界がいっきにくっきりして驚いた。ぜんぜん違う。DVDとブルーレイくらい違う。

視力検査ボードのかなり下の方に明かりがつき、「今ここまで見えてるでしょう」と言われた。本当にそうだった。「これ1.2です」

カチカチと眼鏡から音がして見え方が変わった。「これ1.0です、これ見えますよね」その通り、ボードの明かりは少し上に移動したが、Cのマークがはっきり見える。

 

またカチカチ。「これはどうですか?」と示されたマークは、右のような気がしたが下のようにも思えて、少し黙り込んでしまった。

「『うーん見えなくもないな……』みたいな感じですよね?今0.9です、1.0も意外と近くがつらいんで家用眼鏡ならこれくらいがいいと思います」

 

完全に視力を操作されている。まさに「うーん見えなくもないな……」と思っていたところだったのだ。

長くこの医院に通っているけれど、視力検査では私が見え方を逐一報告しながら調整していくことがほとんどだった。ここまで自分の見え方をはっきり把握されるのは初めてだ。エンジニアにチューンナップされてるサイボーグがいたらこんな感じだろうか。

 

「すごい、なんでわかるんですか?」と聞いても「大体わかるんですよねえ」と笑って返されただけだった。

あの気球の機械は水晶体の屈折力を計るらしい。だからその人じゃなくて機械がすごいのかもしれない。それにしても他人の視覚なんて本人にしかわからないのだ。小説を読むのと同じで、計測結果にも読解力の良し悪しがあるのだと思う。

 

惜しいのは来るたびにスタッフが入れ替わっているし、それにもうすぐ引っ越すのでこの眼科医とは二度と会わないだろうということだ。

コンタクトレンズと眼鏡の処方箋をもらって医院を出た。

 

すごく小さなことに目を向けるとスペシャルな人はそこらへんにたくさんいる。いつもぼんやり生きているけど、そういう人に出会うと不意にあたりの輪郭がはっきりと立ち上がる。そういうのが割と好きだ。ギュギュッ。

 


f:id:hachimoto8:20180715011903j:image

「猫をいぢめただろう 2点」

 

点取占いは昭和初期から売られているので旧仮名遣いが混じっていると聞いていたが、ほんとに旧仮名遣いが出た。

いじめられているらしいのにほほ笑んでいるように見える猫の表情がいい。

 

飼い猫は毎日のようにいじめている。自分としてはかわいがっているつもりだけど、いじめをかわいがりと呼ぶのは世の悪習で、猫からしたらいじめられていると思っているかもしれない。

でも、猫も私を穴が開くほど噛んだり、肩を蹴って飛び越えたり、部屋にうんこを撒いたりしているからおあいこだ。私をいぢめただろう。

点取日記 4 徒歩感のあるリズム

2年に1回くらい脳のすべての配線がとち狂ってヒトカラに行ってしまうことがあるが今日がその日だった。

仕事が中途半端な時間に終わってまっすぐ帰るのも微妙、しかし花金ダーッ!(©たこまつぺろんにょ)を謳歌するにはお金も心の準備もないしだるいという小一時間ほどの隙間に魔が差したのだ。

 

これまでの貧弱なカラオケ歴を振り返れば、人と行ったカラオケよりヒトカラの方がたぶん多い。歌は下手の部類のくせに不思議だが、なぜかというと下手な歌を人に聞かせるのが恥ずかしいし、レパートリーにみんなで盛り上がれるようなヒットソングを持ち合わせていないからだ。

 

その場の誰も知らない歌の間奏をマイクを握ってやり過ごす時間のことを考えるとヒトカラは気兼ねがない。

私とカラオケに行ったことのある人は私にかなり好かれている人です。

 

それで、久しぶりに何曲か歌って気づいたが、なんだかリズムのゆったりした曲ばかり無意識に選んでいるような気がする。

体を揺らして拍子をとっていると、ズン、チャ、ズン、チャ、という調子で、なんだか草っぱらを散歩しているリクガメみたいなのだ。私の知ってるカラオケの風景と違う。

下に歌った曲の一部を挙げる。

 

中島みゆき「とろ」

はっぴいえんど「風をあつめて」

さねよしいさ子「マルコじいさん」

・Yogee New Waves 「Goodbye」

 

会話から生理まであらゆるリズムがずれており、ニンテンドーDSの「リズム天国」を一日に何時間もやり込んでいた時期にアーケード版「リズム天国」を初見の友達とやってボロ負けしたくらいリズム感がないので何分の何拍子とか言えないけれど、とにかく全部のったりのったりしている。相槌、もしくはうたた寝的リズムである。

よかったら各自どうにかして聞いてみてほしい。歌詞もなんだか気が抜けている。

 

疾走感皆無。強いていうなら徒歩感だ。

カラオケ向いてるはずない。

 

たぶん、人それぞれに固有のリズムをもっていて、私のリズムはたまたまリクガメのズン、チャ、ズン、チャ、なのだろう。

これからも徒歩感のあるリズムをひっさげて生きていきます。

 

 
f:id:hachimoto8:20180713234640j:image

「お金を持たずに買物をするな 5点」

 

本当にな。お金もないのに花金するな、音感ないのにカラオケするなという話だ。

うるせえな、今はApple Payとかいろいろあるんだよ。

点取日記 3 丸くて赤い

仕事で必要があって図書館でバレーボールに関する本や雑誌をたくさん読んだ。

バレーボールのことはよく知らない。学校の授業でやったはずだが、基本的なルールすら覚えていない。

覚えているのは授業のあと腕が真っ赤に腫れ上がったことだけだ。

 

こういう時はまっすぐ児童書コーナーに向かうのがいい。野菜の育て方でも偉人の生涯でも下水処理の仕組みでも、たいていわかりやすい本が置いてあるからだ。

バレーボールについての本は2冊あった。

ところが、どちらの本も「スパイクを成功させるには姿勢をどうすればいいか」とか「強豪校の部活練習メニュー徹底解説」みたいな内容で、初歩的なルールや用語が載っていない。

こちらはリベロとかオポとかディグがわからなくて困っているのだ、なんだったらサーブレシーブトスアタックそれぞれの動きすら曖昧なのだ、手を抜かないでほしい。

 

みんなバレーボールのルールをどこで習うのだろう。

中学か高校の(それすら記憶が定かでない)バレーボールの授業で私もルール説明を受けたはずだが、たぶんまったく理解できていなかったと思う。

女子バレーボール部だったサカグチさん(仮名)はボールがユッコからみーやん、まりすけへと移動し、敵陣に叩きつけられるまでの道筋を頭の中で1本の線につなげられるのだろうが、私からすると視界にボールが現れ、衝撃と痛みがあり、ボールがあさってに飛んで視界から消えるというだけのことだから、ゲーム性もくそもないのだ。

 

バレーボールの雑誌を読むと選手たちの笑顔の写真がいっぱい載っていて、吹き出しに「バレーボールは仲間と1つのプレーをつなぐから好き!」とか「ボールに一瞬しか触れないからこそ次の人のことを考える」などと書かれていた。

そうだったのか。

バレーボールって。

そういう競技だったのか……。

 

自我なさすぎ中学生だった私が当時何をしていたのか思い返してみると、放課後の放送室で友達とだべりながら、マイクスタンドの棒でひたすらダンボール箱を殴って充足感を得ていた。

仕事できるだろうか。不安になってきた。

 

帰りにスーパーですももを買った。ついつい買い逃していたので、今年初だ。

家の台所でちゃちゃっと洗ってかじったら、汁がぼたぼた流しに垂れた。

丸い。赤い。すっぱい。うまい。優勝。

なんてわかりやすいんだ。すももはえらい。えらいなあ。

 

 
f:id:hachimoto8:20180713002242j:image

「おみこしをかついだ事がありますか 6点」

絵がかわいい。

おみこしかついだ事ないな。

私の育ったマンションはできたばかりだったせいか地域の祭事からなんとなくハブられていて、古いお祭りとは縁遠かった。(マンションの子供会の祭りは別にあった)

 

夏休みに祖父母の家に行ったらなぜかはっぴが用意されていて、村のこどもみこしをかつがせてもらったことはある。

嬉しかったけど特に思い入れとかはなかったし、かつがれた神様も誰やねんという感じだろうと思う。そういう意味で私はおみこしをかついだことがない。

 

地元のお祭りにすさまじい思い入れがある人って、私には今ひとつ理解できないけど、きっと友達や地元の人や、その土地の信仰と一体になる気持ちがしてとても楽しいのだろうな。

バレーボールとは……おみこしとは……。