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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

点取日記 5 ぼやけた気球

コンタクトレンズがなくなりそうだったので作りに行った。

いつも行くコンタクトレンズ屋のすぐ横に眼科があり、処方箋が切れている時はそこで診察をしてもらう。眼球のチェックと、試供品のコンタクトレンズをつけて視力検査するのだ。そんなに時間もかからない。

 

今日は最近気になっていたので「時々左目がかすみます、視力が落ちてるかもしれません」と眼科医に相談した。今回の担当は眼鏡をかけた男の人だった。

ここの医院の診察室は少し変わっていて、広い部屋に椅子が数脚置いてある。椅子に患者を次々通して3人ほどの眼科医でそれをまわす。私の隣では女の子がカラコンのつけ比べをしていた。おそらくコンタクトレンズ処方に特化した医院なのだろうと思う。

半年ごとに診察をしてもらうが同じ人に診てもらった記憶が一度もない。アルバイトなのか、ひょっとしたら眼科医ではなく別の医療職なのかもしれない。

 

時々左目がかすむと言ったら、「じゃあそれも診ていきますね」とその人は言い、例の機械のところに案内された。双眼鏡みたいな物が付いていて、顎を乗せる台にグラシン紙らしき紙が積んであるやつだ。

あの中に入っている気球の写真がけっこう好きだ。真っ直ぐな道が地平線まで続いていて、青空にカラフルな気球が浮いている写真。この世のどこでもない感じがするし、周りの無骨な機械や金属の冷たい器具とのギャップもいい。

 

機械を覗くと右目にぼやけた気球が写り、次の瞬間ギュギュッと音がして映像が明晰になった。左目も同じ。ぼやけた気球が写る。ギュギュッ、明晰になる。

 

次に視力検査ボードの前に通された。私にあのスチームパンクみたいな検査用の眼鏡をかけさせながら、「左目がかすむのはね、視力じゃなくて乱視の影響かもしれません。疲れた時だけかすみません?」と眼科医が言う。その通りだった。

何十個ものレンズが並んだトランクから何枚かがカチカチと眼鏡にはめ込まれると左目が見えやすくなった。やはり乱視らしい。

しかし、コンタクトレンズで乱視を調整するのは難しいし、時々かすむ程度ならこれまでどおりでいいと思います、と勧められた。

 

それでコンタクトレンズは諦めたが、ついでに眼鏡の処方箋も書いてもらうことにした。今の眼鏡は10年以上前に作ったので度が合っていないのだ。

「わかりました」と言って眼科医がまた別のレンズを差し込むと視界がいっきにくっきりして驚いた。ぜんぜん違う。DVDとブルーレイくらい違う。

視力検査ボードのかなり下の方に明かりがつき、「今ここまで見えてるでしょう」と言われた。本当にそうだった。「これ1.2です」

カチカチと眼鏡から音がして見え方が変わった。「これ1.0です、これ見えますよね」その通り、ボードの明かりは少し上に移動したが、Cのマークがはっきり見える。

 

またカチカチ。「これはどうですか?」と示されたマークは、右のような気がしたが下のようにも思えて、少し黙り込んでしまった。

「『うーん見えなくもないな……』みたいな感じですよね?今0.9です、1.0も意外と近くがつらいんで家用眼鏡ならこれくらいがいいと思います」

 

完全に視力を操作されている。まさに「うーん見えなくもないな……」と思っていたところだったのだ。

長くこの医院に通っているけれど、視力検査では私が見え方を逐一報告しながら調整していくことがほとんどだった。ここまで自分の見え方をはっきり把握されるのは初めてだ。エンジニアにチューンナップされてるサイボーグがいたらこんな感じだろうか。

 

「すごい、なんでわかるんですか?」と聞いても「大体わかるんですよねえ」と笑って返されただけだった。

あの気球の機械は水晶体の屈折力を計るらしい。だからその人じゃなくて機械がすごいのかもしれない。それにしても他人の視覚なんて本人にしかわからないのだ。小説を読むのと同じで、計測結果にも読解力の良し悪しがあるのだと思う。

 

惜しいのは来るたびにスタッフが入れ替わっているし、それにもうすぐ引っ越すのでこの眼科医とは二度と会わないだろうということだ。

コンタクトレンズと眼鏡の処方箋をもらって医院を出た。

 

すごく小さなことに目を向けるとスペシャルな人はそこらへんにたくさんいる。いつもぼんやり生きているけど、そういう人に出会うと不意にあたりの輪郭がはっきりと立ち上がる。そういうのが割と好きだ。ギュギュッ。

 


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「猫をいぢめただろう 2点」

 

点取占いは昭和初期から売られているので旧仮名遣いが混じっていると聞いていたが、ほんとに旧仮名遣いが出た。

いじめられているらしいのにほほ笑んでいるように見える猫の表情がいい。

 

飼い猫は毎日のようにいじめている。自分としてはかわいがっているつもりだけど、いじめをかわいがりと呼ぶのは世の悪習で、猫からしたらいじめられていると思っているかもしれない。

でも、猫も私を穴が開くほど噛んだり、肩を蹴って飛び越えたり、部屋にうんこを撒いたりしているからおあいこだ。私をいぢめただろう。