点取日記 34 春と鼻
自分ではわりと鼻がいい方だと思っている。
匂いだけでゼミ内カップルの成立を言いあてたとか、森の隠れ家的パン屋にたどり着けたとか、おもしろエピソードを持っているわけではないので思い込みかもしれないが、そこそこ自分の鼻を信用している。
他人との比較ではなく、私の五感の他メンバーに対して、嗅覚はけっこういい位置にいる、という意味だ。
あ、今思い出した。鼻がいいエピソードがひとつあった。
高校の美術の時間に友達と絵を描いていて、筆を洗ったらたまたまオレンジジュースそっくりの色水ができて「これめっちゃオレンジジュースやん!」とふざけて鼻を近づけたら本当にフレッシュなオレンジの香りがしたのだ。びっくりして今度は目をつぶってかいでみたら香りが消えた。で、目を開けてもう一回かいだらやっぱりオレンジの香りだった。何度もやっても同じだった。今でも不思議だ。
これ違うな、これは鼻がいい話ではない。脳がアホな話だ。
まあそれで今日外を歩いていて思ったのだけれど、京都市って異様にコインランドリーが多い気がする。大阪のベッドタウンで育って、駅前に行けばクリーニング店くらいはあるものの、記憶をさかのぼる限り徒歩圏内にコインランドリーはない。
今住んでいる界隈では布団も洗えるしっかりしたコインランドリー店をちょくちょく見かける。それ以上に多いのが、普通の住宅の玄関まわりを改造しました風のコインランドリーである。洗濯機が3台ほど、乾燥機も2台とかこぢんまりしているけれど数だけでいえばコンビニより多いんじゃないだろうか。自宅前に自販機を置くような感覚なのかもしれない。
しかも意外なことにこれらが結構ひんぱんに稼働している。私は道でふいにぶつかってくるその匂いが苦手だ。ウッとなる。
馴染みのない洗剤の芳香と、もわっとした蒸気、汗や皮脂は分解されもはや不快さはないが、間違いなく残っている生物の気配。知らない人の知らない生活の匂いである。そういうものをモロに頭からかぶってしまうと、ものすごく思い上がった言い方だが「こんな細部まで作り込まなくても…」と世界に対してぼやきたくなる。
そのわりに古着屋の匂いは平気で、手持ちの服の半分くらいは古着だ。あの甘ったるいガムみたいな匂い。どの街のどんなタイプの古着屋でも、匂いが似通っているのはどうしてだろう。みんな同じメーカーの消臭剤を使っているのか。それとも国外の古着屋はまた違った匂いがするんだろうか。古着にまとわりついているのは、古くなった繊維の香り、混ざり合い平均化された体臭と、ほこりの匂いである。というよりも、ほこりの主成分は布団や服から出る繊維のくずだというから、古着それ自体がほこりの前世といえなくもない。ものによっては、煙草の匂いも染み付いている。
コインランドリーと古着屋、ふたつを比べてみると前者は今現在生きている匂いであり、後者は生きていた匂い、残り香だというのが、感覚を分けるポイントなのだろう。
それにしても匂いの話が私は好きだ。色の話をしろと言われたら早々に行き詰まってくだらない豆知識を披瀝してしまいそうだけど、匂いの話だったら「流行ってるメガネ屋のそばを通ると鼻の奥がチリチリする」とか「猫は体の部位によって少なくとも7種類の匂いがあると思う」とか延々と話せる。
何にせよ日に日に春らしくなり、太陽はまぶしくてあたたかいし植物も元気だし、視覚的にも嗅覚的にも賑やかになって嬉しい限りだ。私が冬を苦手に感じるのは、空気がきりっと冷たくて鼻が利きにくいのも関係があるように思う。
実際どうなのかわからないけど、道端で梅の花やら沈丁花やら、ぬかるんだ地面やらよそん家の煮物やらをかぎ分けるのに忙しいので、今日はこのへんで。
「時計をおくらせたのはだれだ 5点」
時計が遅れているのに、5点というどっちつかずな点数なあたり、作者が遅れる快楽みたいなものを感じているのが垣間見えて結構好きですね。