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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

元日

朝目が覚めると雪が降っていた。地面に降ったのは溶けて、屋根や塀に降ったのは積もっている。すましのお雑煮とおせちを食べた。丸餅がよかったけど角餅を買ってしまったので角餅。実家で食べていたものを見様見真似で作っているけれど、いつもすまし汁が濁ってしまう。今日は途中までまあまあ澄んでいたのだが、最後に同居人が掬ってきたビワマスビワマス掬うって何)の自家製イクラ醤油漬けを乗せたら濁ってしまった。イクラはイレギュラーとしても、やはり具材はすべて別茹でにしてすまし汁をあとからかけるのがいいのだろうな。昼はおしるこを食べ、夜は白味噌のお雑煮とおせちを食べた。

 

元日からいかつめの昼寝をしてしまったが、夕方少し身体を動かそうと散歩に出た。近所の神社では焚き火をしていた。火はすごい。離れていても暖かい。おみくじは吉で、「悪い習慣を捨ててがんばったらいいことがあるよ」というようなことが書いてあった。そのようにしたい。

 

川沿いを歩いていると波紋が見えた。小さな生き物がひっきりなしに潜ったり出たりを繰り返している。両手のひら収まるほどの大きさ。夕方の薄暗さと近視が手伝ってよく見えない。すると背後から「子鴨やわ」という声がした。振り向くと五十代くらいの女の人が立っていた。コガモという種類の鴨もいるが、この場合は子どもの鴨という意味だ。たしかにそばでカルガモらしき大人の鴨が何羽か群れていた。「そうですか、目が悪くて、ヌートリアか何かかと」と言うと「ヌートリアって何?」と聞かれたので外来種の大きな鼠で、何十年も前に毛皮用に輸入されたのが逃げ出して棲み着いているんです、と説明した。そしたら「へえ! じゃあ捕まえて毛皮に……ふふふお正月からこんな話」と返ってきて可笑しかった。

三十一日

晦日アナグマを食べた。いつかずっと食べたいと思っていて、生まれて初めてだったのでうれしい。同居人が出張先で知り合ったおじいさんからいただいた冷凍もので、同居人はこうしてよく旅先で見知らぬ人、それもちょっと変わった人に気に入られて厚意をかけられることがよくある。私にそういうことは滅多に起こらないが、こうしてたびたびご相伴に預かる。アナグマは味噌仕立ての鍋にして食べた。噂通り脂がのっていてコラーゲンが多く、甘みがあっておいしかった。赤身は赤身でほどよい噛みごたえがあり山の獣らしい濃い味がする。まだ半分ほど残っているから次は焼いて食べよう。

 

今年は『kaze no tanbun 夕暮れの草の冠』西崎憲 編(柏書房)に寄稿させていただいたり、大学の講義のゲストスピーカーに呼んでいただいたりして、印象深い年だった。けれど、それ以外はぱっとしなかったかもしれない。かぐやSFコンテストもブンゲイファイトクラブ鳴かず飛ばずだったし。犬街ラジオや文体の舵を取れでいろいろ書いて、掌編・短編が合わせて二十九本。うーん、やっぱり少ない気がする。なぜそんな気がするかというと、期限ぎりぎりになってあわてて書くことが多かったからだろう。良くない癖だ。来年は丁寧に書く、たゆまず書くことを目標にしたい。ここしばらく続けている日記は(丁寧には書けてないけど)気負わずに毎日書く体勢を作るつもりでやっていて、最近ようやく「書かないと気持ち悪いな」という状態になってきた。

 

今日は遅めに起きておせちを作った。筑前煮、酢れんこん、たたきごぼう、田作り。こんなもんでしょう。テレビがないのでインターネットと読書でだらだらして、もう少ししたら年越し蕎麦を食べる予定。家族が蕎麦アレルギー持ちなので実家にいた頃は年越し蕎麦を食べる習慣がなく、昨年初めてやってみたらごっこ遊びみたいで面白かった。もう何年かやったら身に馴染むかしら。来年もよろしくお願いいたします。よいお年を。

三十日

気になるところだけ大掃除をやったあと昼を食べに二人で出かけた。評判の良い蕎麦屋に向かったのだが、ラストオーダーの時間が思ったよりも早くて着いた頃にはもう準備中になっていた。かわりに入った洋食屋が当たりで、またぜひ行こうと話し合った。食べたのはカキフライとエビフライのプレート。付け合せの人参の酢和えにクミンを加えたやつがおいしかったので真似しよう。

揚げ物をたっぷり食べたせいか夜になってもお腹がすかず、オートミールの粥で簡単に済ませた。そのあとおせちを作る作業をいくつかやった。実家はクリスマスもおせちもしっかりご馳走を作る方で、母がクリスマスなら七面鳥やフルーツパンチ、お正月ならおせちのお重を作っていたけれど、二人暮らしの家でそこまでやる気力は私にない。田作りや紅白なます松前漬けなど、楽に作れて好きなおせちを数種作って、買えるものは買って済ませる予定だ。

ただ不思議なことにクリスマスのご馳走の方が好きだと思っていたけれど、作ろうというやる気が出るのは断然おせちの方だ。黒豆を自分で煮たくなって、実力的にきっとキャパオーバーなのでぐっとこらえたり、余裕があったらたたきごぼうと酢れんこんと車海老と……手を広げたくなったりしている。なぜだろう。不思議だな。おせちって保存がきくようにだいたい出汁と醤油と砂糖とお酢で味がつけてあって似通ってるんだけど、なんだか好きだ。マメに暮らせるようにとか見通しが良いようにとか腰が曲がるまで生きられるようにとか、縁起物の言葉遊びも信じてるわけじゃないのに嫌いにはなれない。そういえば七面鳥の味は大好きだけれど、どうしてクリスマスに七面鳥を食べるのか私は知らない。ストーリーが欠けているということなのかもしれない。

お雑煮もたくさん食べたい。最初はすましに片栗粉をふった鶏肉と金時人参と焼いて焦げ目をつけた餅を入れて、次は白味噌でゆで餅を入れて。三つ葉だって安く買える十一月中に買って冷凍してある。ああ高まってきた!!

鹿脂に関する覚書

正月に向けて冷蔵庫にスペースを作るため、骨のぶんかさばる鹿のバラ肉を使ってすき焼き風を作った。なかなか大仕事だった。鹿のあばらの肉は全部位の中でもっとも調理しづらい。骨がくっついていて取り回しが悪いし、肉は薄い膜に覆われており食感は固め。骨と骨の隙間についた肉まで剥がそうとするとさらに細かな作業を要する。これまでは一本ずつばらしてスペアリブを作りかじって食べていたのだが、今回は圧力鍋で柔らかく下茹でをしてから骨を取り除き、すき焼き風に食べる方法を試した。「すき焼き"風"」というのは初めに肉を焼くことをしないからだ。

鹿を調理する上で敵となるのは、実は鹿の脂だ。鹿脂の融点は五十五度、三十度前後の鶏や四十度前後の豚と比べてもかなり高い。脂の融点が高いということはつまり室温程度ではすぐ白く固まってしまうということで、冷めた鹿脂は口溶けが悪く、ざらっとした食感が残る。だから冬に鹿をおいしく食べたいならお皿はしっかりと温めておくべきだし、何よりできたてのうちに食べるのがいい。下処理の段階で脂をなるべく取り除くのもいい。鹿脂は「ろくし」と読む。「しかし」じゃないんだ。ちなみにいい匂いのハンドクリームなどで有名なロクシタンは、海外ブランドだと思われがちだけれど実は長野県発祥で、鹿脂を防寒用軟膏として販売していた「鹿脂丹(ろくしたん)」という会社が前身だ。嘘です。

そういうわけで下茹で段階で脂を落とし肉を柔らかくすべく、圧力鍋に分割したあばらを骨ごと押し込み、かぶるまで水を入れて炊いた。アクをすくったら加圧する。圧力鍋を使い慣れていないので日和って加圧時間を五分にしたけれど、結果からいうともう少し長めにして十分か十五分でもよかったかも。圧力鍋ってうっかり爆発させて顔面がグチャグチャになるところを想像してしまって怖い。火を止めて蒸らしたあと取り出し、トングと包丁を使って骨から肉を外した。炊事場が激寒なせいで一分くらい経つともう脂が白く浮かび上がってくる。鹿脂は本当に手強い。肉は良い感じに柔らかくなっていたが膜の多い箇所が今一つで、結局細かいところは手で剥がすので左手が砕けた蝋燭まみれみたいな見た目になってげんなりした。ところで人の脂って人肌で溶けるのかな? などと馬鹿なことを考えた。

処理を終えるとまな板の上に白い脂が層を作っていたので包丁でこそげて捨てた。鹿の茹で汁を熱いまま流すと、途中で脂が固まって排水管が詰まる原因になるので注意が必要だ。

取れた肉の三分の二ほどをすき焼き風にまわし、野菜や豆腐と一緒に炊いた。これまで試した中でいうと一番正解に近いんじゃないかと思う。スペアリブはちまちまかじっていると残りがどんどん冷めて脂が浮いてきてしまう。その点、すき焼き風は熱々のまま各自のペースで食べられるところがいい。肉の味が濃いので割り下にも負けない。脂っけがほしければ適宜牛脂を足すなどすれば良いと思う。

圧力鍋に残った茹で汁はそのままにしておいた。一夜明けると、果たして表面に真っ白な鹿脂の円盤ができていた。新雪を汚すような気持ちでお玉で割って取り出すと厚さは三ミリほどもあった。