/* 本文の位置 */ #main { float: left; } /* サイドバーの位置 */ #box2 { float: right; }

蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

鹿脂に関する覚書

正月に向けて冷蔵庫にスペースを作るため、骨のぶんかさばる鹿のバラ肉を使ってすき焼き風を作った。なかなか大仕事だった。鹿のあばらの肉は全部位の中でもっとも調理しづらい。骨がくっついていて取り回しが悪いし、肉は薄い膜に覆われており食感は固め。骨と骨の隙間についた肉まで剥がそうとするとさらに細かな作業を要する。これまでは一本ずつばらしてスペアリブを作りかじって食べていたのだが、今回は圧力鍋で柔らかく下茹でをしてから骨を取り除き、すき焼き風に食べる方法を試した。「すき焼き"風"」というのは初めに肉を焼くことをしないからだ。

鹿を調理する上で敵となるのは、実は鹿の脂だ。鹿脂の融点は五十五度、三十度前後の鶏や四十度前後の豚と比べてもかなり高い。脂の融点が高いということはつまり室温程度ではすぐ白く固まってしまうということで、冷めた鹿脂は口溶けが悪く、ざらっとした食感が残る。だから冬に鹿をおいしく食べたいならお皿はしっかりと温めておくべきだし、何よりできたてのうちに食べるのがいい。下処理の段階で脂をなるべく取り除くのもいい。鹿脂は「ろくし」と読む。「しかし」じゃないんだ。ちなみにいい匂いのハンドクリームなどで有名なロクシタンは、海外ブランドだと思われがちだけれど実は長野県発祥で、鹿脂を防寒用軟膏として販売していた「鹿脂丹(ろくしたん)」という会社が前身だ。嘘です。

そういうわけで下茹で段階で脂を落とし肉を柔らかくすべく、圧力鍋に分割したあばらを骨ごと押し込み、かぶるまで水を入れて炊いた。アクをすくったら加圧する。圧力鍋を使い慣れていないので日和って加圧時間を五分にしたけれど、結果からいうともう少し長めにして十分か十五分でもよかったかも。圧力鍋ってうっかり爆発させて顔面がグチャグチャになるところを想像してしまって怖い。火を止めて蒸らしたあと取り出し、トングと包丁を使って骨から肉を外した。炊事場が激寒なせいで一分くらい経つともう脂が白く浮かび上がってくる。鹿脂は本当に手強い。肉は良い感じに柔らかくなっていたが膜の多い箇所が今一つで、結局細かいところは手で剥がすので左手が砕けた蝋燭まみれみたいな見た目になってげんなりした。ところで人の脂って人肌で溶けるのかな? などと馬鹿なことを考えた。

処理を終えるとまな板の上に白い脂が層を作っていたので包丁でこそげて捨てた。鹿の茹で汁を熱いまま流すと、途中で脂が固まって排水管が詰まる原因になるので注意が必要だ。

取れた肉の三分の二ほどをすき焼き風にまわし、野菜や豆腐と一緒に炊いた。これまで試した中でいうと一番正解に近いんじゃないかと思う。スペアリブはちまちまかじっていると残りがどんどん冷めて脂が浮いてきてしまう。その点、すき焼き風は熱々のまま各自のペースで食べられるところがいい。肉の味が濃いので割り下にも負けない。脂っけがほしければ適宜牛脂を足すなどすれば良いと思う。

圧力鍋に残った茹で汁はそのままにしておいた。一夜明けると、果たして表面に真っ白な鹿脂の円盤ができていた。新雪を汚すような気持ちでお玉で割って取り出すと厚さは三ミリほどもあった。