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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

点取日記 35 虫の運命

この半月ほど脳の調子がおかしくなって寝たり起きたりしていた。家にひとりでいると不安や悲しみや無力感が発作的に襲ってくる。それは間欠泉に似ていて、心を覆っている岩と岩とのすき間から数十分間隔で感情が蒸気や熱湯となって凄まじい勢いで噴出し、子どもの頃の嫌な記憶や後でつらかったと気づいたこと、じくじくとした自己嫌悪、みっともない癖のこと、ここ最近の些末な対人的やらかしなどがあたりに散らばる。最後には「もっと全部普通がよかった」「もっと善い人間になりたかった」「もっと頭が良ければよかった」「求められることを何ひとつ満足に出来なくて苦しい」といった気持ちがドロドロとヘドロのように湧き出て、発作は収まる。その間私は脱力して動けない。

 

断続的にこのような発作に襲われ、かつ休日に用事がないと人間はどうなるか。とにかく寝床で寝ているようになる。横になったからといって眠れるわけでもない。ただ打ちひしがれて自己嫌悪の波が寄せたり引いたりするのを眺めているだけだ。そしてトイレに行くのが面倒くさい。とても面倒くさい。尿意を感じてから1時間、膀胱が限界を迎えた瞬間がばと起き上がってあわててトイレに向かう羽目になる。たくさん泣いたり鼻をかんだりした時ほど膀胱がすぐ満タンになる気がするのは不思議である。

 

いそいそとトイレに入ると、規則正しく敷き詰められた水色のタイルの上に枯れ葉のようなものが落ちていた。蛾だった。スズメガの仲間だ。日常見かける蛾としては大きい方である。ともかく切羽詰まっているから、踏まないように避けながら用を足して、一度は扉に手をかけたけれど床を振り返って見た。次はうっかり踏むかもしれない。大きな虫を踏むのは嫌なものだ。

蛾をつまみ上げて手のひらに乗せた。死骸かと思ったが生きていた。ぽってりした体に細かな毛が密に生えている。虫というより鼠のようだ。柔らかくてやさしくて少しひんやりした翅が細かく震えたが飛んではいかなかった。翅の力が弱いらしい。うまく羽化できなかったのだろうか。放してやったところで大して生きられないのではないか。ひとまずトイレを出た。

 

しかし蛾はどこから入ったのだろう。この家のトイレは天井がちょっと変わったつくりになっていて、大きな横穴が開いているから、外から虫が入ってくることは十分ありえる。夜の灯りに誘われて迷い込み、つるつるの床に落ちて脱出不能になったか。

庭で適当な樹を見つくろって止まらせてやった。蛾はすぐにすべり落ちてよろよろと草の間を飛んだ。蟻にやられるかもしれないと思った。

 

部屋に戻るとさっきまでの絶望感が嘘のように消えていた。突然お腹がすいたと感じ、朝から何も食べていなかったので房からバナナをもぎって食べた。甘くてうまかった。

 

平素の私は呑気者だ。よくも悪くも鈍感で、たぶん色んな人を苛立たせているはずだが、それにすら感づかないので支障が出ないといったタイプの人間だ。以前すごく気のつく先輩が「怒った人が出ていったあとの部屋に入るとその気配を感じることがある」と言っていてそれは一体どんな世界だろうと思った。

人に会えば嬉しく益体もない冗談ばかり言うしたいていは機嫌よくしている。ごはんを食べればおいしい。夜はよく眠る。どうして時々こんな風になってしまうんだろう。

 

 

それから五日ほど経った休日、症状はさらに悪化していた。寝床に縛り付けられたように動けなくなった。

こういう状態に陥るのは初めてではない。というよりも小学生の頃から良くなったり悪くなったりしつつずっと付き合ってきていて、しかしここまで落ち込むのは経験上冬だけである。この冬は乗り切れないかもしれない、と毎年覚悟するけれど春になればあっさり回復するのを私は知っている。人間に冬眠の機能が備わっていないのは進化上の大失敗だと思う。しかし今は初夏で、本来調子がいいはずなのだ。

 

ある日は寝込んで夕方までまともに動けず、ある日はたくさんの人に会って仕事を片付け、という状態が交互に続いていた。

こういう時本当に自分を助けてくれるのはほどよい仕事である。締切は偉大だ。締切があるとどんなに落ち込んでいようと、徹夜をしようと間に合わせなければという義務感で動ける。

約束をして人に会うのもいい。誰かといるとひとりの時の自分が嘘のようで、とはいえこうも長引くとどちらが嘘なのかよくわからない。

 

またもや尿意を決壊寸前まで我慢してしまいあわててトイレに行った。そうしたら、またあの蛾が落ちていた。同じ大きさ、同じ模様、落ちている位置まで一緒だった。

 

その時の気分も合わさって暗然とした気持ちになった。まるっきりこの間の再演だ。用を足してから蛾を拾った。蛾は肢をもぞもぞさせて弱々しく抵抗した。二対の翅は小さなナイフのような流線型で、枯れ葉色の地に薄い筋が走り、ごく小さな黒い斑がついていた。その翅の模様と元気の無さには見覚えがあって、この前と同じ奴が戻ってきたのだと私はほとんど確信した。

なぜだ。緑のあるところに放してやったのに。こんな場所に食べるものはない。冷たくて無機質なタイルと陶器の便器があるだけだ。

 

家を出て庭を通り過ぎて道を渡って植え込みのところまで行った。ここまで離れれば戻ってこれまい。木の根元にそっと蛾を置いて帰ってきた。今度こそ蟻か、でなければ鳥にでもやられるかもしれないと思った。

 

部屋に戻って、あの蛾はこの前の蛾と同じ個体だろうか、とふたたび考えた。別個体の可能性もないではないけれど、とにかくあの種の蛾は光、あるいは排泄物の残り香か何か、へ向かうようできているのであって、だから蛾に何ら利する物のないトイレのような場所に間違って迷い込む、何度でも。

 

虫は運命に従う生き物である。運命、または本能と呼ぶべきものによって移動し、食べ、繁殖する。行動を決める時、学習や思考が影響する割合は人間に比べて少ない。去年この家に引っ越したばかりの頃、小さな蜘蛛が何度追いやっても同じ場所に現れて最後には大きな巣まで作ったので仰天したことがあった。彼らは常に環境に応じて精緻に行動するけれど、「一度失敗したから今度はやめよう」というようなことはしない。生き延びるものは生き延び、運の悪いものは死に絶えて、そうして何億年も繁栄してきた。

 

蛾のことを考えているうちにまた発作が襲ってきたから布団をかぶって耐えた。

友人たちの中には過労や持病や家族問題に悩みながら立派に生活している人がたくさんいる。私だってつい昨日は仕事をこなしていい反応をもらって、編集さんやデザイナーさんと喜び合ったのだ。先月なんか海外旅行に行ってとても楽しかったのだ。なぜ生きているだけで、こうして存在しているだけで不意に苦しくなるのだろう。誰も私を理解しない、いや理解されてたまるかと思った。

なんだか同じことばかり考えている気がする。どうしたって健全ではない。

 

あの蛾は私ではないか、という妄想が頭の中に湧いた。何度も同じルートをたどって、何度も同じ場所で行き詰まる。そこまで蛾に思い入れているのに、不思議と種類を調べようという気にならなかった。人間が勝手にどんな名前を付けたかなんてどうでもいいことだ、あの蛾と私は今それ以上に結びついているのだから。

でも私は虫じゃない。こんな風に発作に流されるままでいたくない。学習能力だって思考能力だって、まだまだ残っているはずだ。

 

あの蛾は私だ。もうだめだと思った。もう無理。もうひとりで堂々巡りをするのは限界。プロに頼るべきだ。だるい体を起こしてノートパソコンの前に座り、自治体の精神保健福祉の窓口や市内の医療機関をリストアップし、薬を使わずかつ保険が適用されうる療法について調べた。そしてWordを立ち上げて自分がどんな思考を繰り返しているかを書き出していった。

 

 

5日ほど経って朝目が覚めた時、“抜けた”という感覚があった。嵐は行ってしまった。散らかっていた部屋を片付けてゴミを捨て、to doリストを組み直した。また本をぐいぐい読み進められるようになり、大量の文章を書いて、一日中書いても楽しくてまだ書きたりなかった。

もう絶対に医者に行こうと思って認知行動療法を調べているうちに、素人ながらこれは試せるんじゃないかと気づいていくつか実行してみたらあっけなく寛解したのである。いや、何がきっかけかははっきりしない。ぐるぐる思考を言語化したからかもしれない。サプリだって飲んだし散歩もしたし猫もなでた。私はまた病院に行きそこねた。

 

こうして“抜けて”みると、自分が何に思い悩んでいたのかよく分からないのだった。まるで山で遭難して暗闇の中を一晩じゅうさまよっていたのに、夜が明けたら人里からたかだか50メートルも離れていなかった、という感じ。論理的に悩みを説明することはできても、苦しみの芯のような部分は霞がかかったようによく見えない。次の発作が起きるまで分からないだろう。苦しみの絶頂で誰にも理解されないなどと考えたが何のことはない、自分だって少し時間が経っただけで全然理解できないのだった。

トイレに行った。またあの蛾が落ちていた。これで三度目だ。蛾は、もうほとんど暴れなかった。ここ数日の寒さがこたえたのかもしれない。

 

例の植え込みの近くに蛾を連れて行った。紅茶をいれて待っている間、ふと思いついてインターネットで蛾の種類を調べた。蛾はコスズメという名前だった。成虫の出現時期は5月~9月で開張55ミリから70ミリ、全国的に広く分布し、幼虫はノブドウやエビヅルの葉を食べるという。

 

 


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「ぐずぐずしてないで元気を出せ 4点」

それな。本当にな。点取り占いはたまにぴったりなのが出るので、びっくりする。