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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

ええべべ着せてもろて

服がぜんぜんわからない。ので、WEARというアプリを入れてみた。おしゃれな人たちがおしゃれな「コーデ」を日々アップして、おしゃれさにさらなる研鑽を積むSNSだ。ああ、書いているだけで恐ろしい。私は生活における衣服の優先度がかなり低くて、あまり外に出ないし人にも会わないし、近所へ買い物に行くくらいならぼへぼへの部屋着で出かけてもへっちゃらだ。が、それでも月に数回は人と会う機会があり、そのたびに「なんか変だなあ、変だなあ」と思っている。駅の鏡などに映った自分の姿をふと見ると「なんか変」なのだ。初期アバターっぽいというか、いろいろちぐはぐしている。一応インフルエンザにかかるくらいの頻度で服ブームが来ることがあり、休日に古着屋さんを巡るような時期もあったのだが(新品の服を売る店は雰囲気がビカビカしていて苦手)、前回のブームが来て数年、手持ちの服の約半分が今いっせいに擦り切れつつある。そろそろ更新せねばならない。

 

怖いものみたさでWEARを開いてみると、いろんな人の投稿がずらっと出てくる。検索画面では細かく条件を指定できて、年齢や身長や季節で結果を絞れるし、ワンピースなどアイテムを指定することもできる。人気の投稿者は数千とか数万、時には十数万のフォロワーを抱えている。が、どういうわけかピンとこない。心が動かない。いや、みなさん素敵だと思うし、上下ワークマンの部屋着+ネックウォーマーでパソコンに向かっている人間が何を言うのかという感じだが、そこに自分が加わるイメージが思い浮かばないのだ。おおかたの投稿はおしゃれだなと思うが、好きかと言われれば「?」であり、ひたすらスクロールして好きな投稿を見つけても、ではそれを着たいかと問われればこれまた「?」だ。要するに、私の方で服を見る目ができておらず、かつこうありたいという自己像が不明瞭だということなんだろう。あと、こういう格好をすればちゃんとした人に見えるのはわかったけれども、ちゃんとした人に見えることに自分が非常な抵抗を感じているのも同時にわかった。ちゃんとした人に見えたくない。洗練された人に見えたくない。なぜならば実際にはちゃんとしておらず、洗練されてもいないから。どうせ挙動ですぐバレるんだから、装うだけ損ではないか。どう見えたいかと言うと「人間社会に溶け込もうと努力しており、人畜無害そうだが、どこか奇妙さが残る人」であり、じゃあ今の格好でいいじゃんってことになってしまう。しかしいくらなんでももうちょっとブラッシュアップする道がありそうなので、アプリの見る専はしばらく続けてみよう。

 

今日は仕事で街へ出かけた。普段はバスで来る距離だが、調子に乗って川沿いに徒歩で帰ったらぐったり疲れて帰宅後に一時間半くらい昼寝してしまった。が、いい散歩だった。河原は鳥が多い。植物が枯れてよく目立つせいもあるのだろう。ハクセキレイがあちこちにいて、ハクセキレイみたいなファッションならしてみたいなと思った。黒のインナーを着て、グレーのセーターかカーディガンを着て、その他も黒や白でまとめて。蛾や鳥を見てこうなりたいと思うことはそういえばよくある。自然が着せる衣装は本当に素晴らしい。元ネタなんてわかりはしないだろうから、好きな生物のコスプレのつもりで服を集めるのはありかもしれない。

 

適当に写真を撮ったら鳥が十羽も写っていた。

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