さくらももこの発明(私たちはままならない)
漫画家のさくらももこが亡くなった。まだ53歳だったという、その若さにも驚いたし、その若さで亡くなってしまった事実が悲しい。
物心ついた頃から『ちびまる子ちゃん』のアニメは当たり前にそこにあった。
第1期の放映開始は1990年。私は当時2歳で、まる子という女の子や、彼女の家族やクラスメイトたちはまったく自然に、画面越しの友人であった。
アニメを除いて私にとってのさくらももこ作品といえば、『コジコジ』であり『永沢君』であり、『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』のエッセイ群だ。
『ちびまる子ちゃん』の原作は小学校の友達に借りて一通り読んだけれど、上記の作品たちは子供の頃に何度も読み返した。ずいぶんぼんやりとした記憶になってしまった今も、血肉になっている確信がある。
私は心底熱心なファンとは言い難い。成長期にたまたま、いくつかの作品が空気みたいにそこにあった。いつの間にか彼女から受け取ったメッセージがあって、それは「私たちはままならない」ということだと思う。
私たちはままならないのだ。根本的に、未来永劫に。
ほしいおもちゃは手に入らない。カッコつけるとろくなことがない。夏休みは8月31日で終わるし、宿題はこれからだ。暴飲暴食は腹痛の素。友達を裏切った罪悪感で死にそう、おまけに手ひどいバチが当たる。あの子の家はお金持ちだけど、うちはそうでもないみたい。
これらの多くは身から出た錆、もしくはこの世の理不尽だ。床に突っ伏して足をバタつかせ、どれだけみっともなく泣こうが喚こうがどうにもならない。まる子はごくふつうの、つまり浅薄で欲にまみれたガキんちょで(最近のアニメではどうか知りませんが)、色んな現実がままならない小学生を生きている。
その悶絶ぶりを毎週テレビで見たからって聞き分けがよくなるわけでもなかった。ただ自分が愚かな振る舞いをして痛い目にあった時、赤いスカートの女の子を身近に感じた。
中学生になった『永沢君』の、圧倒的なイケてなさ。玉ねぎ頭にかぶる異様に小さな学生帽は彼の思春期すべてを象徴していて最高だ。
現実と自意識の狭間を迷走してラジオに投稿したり、友人と罵り合ったり、タバコを吸ってみたりする彼は、今でこそかわいいとも思えるけれど、同じくかなりイケてない中学生時代を過ごした私は共感と焦燥感のあまり、しばらく読み返せなくなったものだった。
あるいはメルヘンの国が舞台の『コジコジ』ですら、コジコジが“ままなっている”だけなのだ。他のキャラクターたちは親からのプレッシャーやメルヘンなキャラクターゆえに付与された珍妙な性質などに悩み、存在に関する疑問を抱えて生きている。世界が変わってもその世界のままならなさが立ち替わるだけで、私たちは決して自由にならない。
自業自得でひどい目に遭う私たちにもふいに美しい瞬間が訪れるとくり返し描いてくれたのもさくらももこ作品だった。素敵な人とつかの間友達になること、美しい風景を見ること、仔猫に出会い、友達と心が通じたと思うこと。
しかし格好のつかないエピソードがやはり大半を占めていて、しかもけっこう残酷だ。共感性羞恥というやつ、私はあまり感じないのだが、さくらももこ作品の登場人物が気まずい目に合う場面で目をそらしてしまう人は多いんじゃないだろうか。
ただ不思議なことに、この残酷な漫画たちは私たちのままならなさを容赦なく照射すると同時に、処方箋をくれていたように思う。
それはたとえば半笑いで顔面蒼白になった顔のタテ線や白目。あるいは「友蔵心の俳句」や「トホホ」「冗談じゃないよ、あたしゃ…」といった特徴的なセリフ、独特のナレーション。
さくらももこが発明し、国民的アニメになった『ちびまる子ちゃん』が広めた共通言語だ。その記号のもとではすべてが一旦ギャグになる。ナンセンスになる。
友達と遊びに行った先で予定がことごとくずれ、「どうすんの、これ?」という空気になった時、誰かがキートン山田の声真似で「後半へ、つづく」と茶化して「ま、いいか」となったこと。
タイの空港で飛行機を逃す大失態を犯したが、ひとまず「トホホ」と頭で唱えたらなんとなく心が落ち着いたこと。
自分に小さな災いが降り掛かった時、悲壮感がこみ上げる前に「なんだこれ、『ちびまる子ちゃん』かよ」とツッコミを入れ、距離をとる。しばし顔にタテ線を入れる。そして現実に戻ったら、ほとんど打つ手がないとは知りながらひとまずできることをする。たいてい事態は思ってるよりなんとかなる。大丈夫。
そういうことにかなり助けられてきたし、これからも助けられるだろう。
明日も仕事だからさっさと寝たかったのに、こんな文章を書いていたらもう5時だ。トホホ、冗談じゃないよ。