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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

つげの櫛を見出す話

昨日急につげの櫛がほしくなった。あの江戸時代の娘さんが使っていそうな木の櫛だ。どういう訳かその日ツイッターや書籍で立て続けにつげの櫛を見かけたのだ。ありませんか?遭遇率の低い言葉にやたらぶつかる日。そういうのもバイオリズムっていうのだろうか。
 
なんでもつげの櫛は大事にすれば何十年ももつらしい。椿油をふりかけて手入れをするらしい。それで髪をとかすとサラサラになるらしい。らしいらしいと聞いてやってみたくなった。ここ何年もショートカットだった。ショートカットは楽ちんだ。手ぐしでほとんど事足りる。寝癖がひどい時でも水でちゃっと濡らしてドライヤーブオーとやって終わりである。いやちゃんとセットしてるショートカットの人いっぱいいると思うけど、私は無精者なので、あと髪質がわりと素直なので櫛がなくても困らない。一応ちゃんとする日には高校生の時買ったプラスチックのブラシを使っている。ところがここ数ヶ月散髪をほったらかしていたせいで髪型がボブに近づいてきた。ボブっていうか、今の髪型を一言で説明すると「バイトとヒモで食いつないでるインディーズバンドのベーシスト風」だ。そんなこと言ったらベーシストの人が怒るだろうか?でも本当に見たことあるんだもん。前髪で目が完全に隠れてるベーシスト。ヒモかどうかは知らないけど。で、手ぐしでは持て余すようになってきて、突如として(いや、徐々に)櫛の必要性が生じたという訳だ。そこにつげの櫛の概念が現れたので、「あ。ほしい。つげの櫛」となったのである。
 
私のほしいつげの櫛の姿がぱっと頭に浮かんだ。まず柄のついてないやつ。持ち手に彫られた清楚な花。歯は多すぎず少なすぎずいい感じ。長さ三寸ほど。想像が働きすぎて単位まで古くなってしまった。
 
ほしいものの姿がはっきり見える時、その通りのものが見つかることはまずない。それでも一応ネットで検索してみたら、かわいいつげの櫛がわんさと見つかった。自分の理想通りとは言わないが、どれもすごく素敵だ。ただし、高い。私なんかが持つものではないと思った。少なくともなんの口実もなく買うものではなかった。
 
しょんぼりしてつげの櫛のことは心の中の「いつか買いたいとは思うが今ではないBOX」にしまった(この箱にはたくさんの物が入れてある)。で、今日爪切りで爪を切ろうと思って、わが家の衛生箱をガラッと開けたら櫛が出てきた。
 

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昔風の木の櫛。まばらでも詰まり過ぎでもない歯。片隅に書かれた「本つげ」の文字。驚いた。花の彫り物こそないけれど、昨日ほしいと思った物がもう手に入った。というか、最初から家の中にあったのだ。衛生箱には爪切りの他に軟膏とか毛抜きとか耳かきとかがごちゃごちゃと入っていて、つげの櫛もそこに紛れていた。私は10日に一度は爪を切る。その度につげの櫛も目にしていたはずだ。必要なかったからちっとも気づかなかった。一度意識すればつげの櫛を見出すのはなんでもなかった。
 

 

母に聞くとこの櫛は父が小学生だった頃の修学旅行のおみやげで、おそらく祖母のために買ったものだが、巡り巡って結局うちに来たのだそうだ。ざっと45年前の櫛ということになる。髪をといてみたらぴかぴかの艶が出た。髪をとかす習慣がないから比べようもないけどなかなかいいようだ。
 
明日椿油を探しに行こうと思う。いつも行くドラッグストアにあるといいんだけど。

電気グルーヴ『TROPICAL LOVE』

 
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やーもう最高です。本当に素晴らしい、よかった、よかった、これからもがんばってやっていきたいですね。
 
何がって電気グルーヴの新アルバムの話で、いつも以上に要領を得ない文章になると思うから別に読まなくていいけど聞きたて一週間の今の感想を書いておきたい。ほらアルバムって聴き込んでいくとお気に入りの曲が変わっていったりするでしょう。
 
さて、一週間前に電気グルーヴの新譜が出た。ずいぶん前から待っていた。そしてそれが期待以上によかったので私はとても嬉しい。
 
ここ数年の電気グルーヴの歌詞は意味を脇に置き、発声した時の気持ちよさに重点があって、それはそれで好きだった。けれど私は不穏で断片的な風景を幻視するような曲に共鳴する方で、一番好きなアルバムは『VOXXX』だ。あと売上的には振るわなかったという(わかる)『ORANGE』もけっこう好きだ。と言えば、大体電気グルーヴのどういうところに惹かれるのか、伝わる人には伝わると思う。
 
そうそう、さんざんいろんな人が言っているけれど、今回のアルバムは『VOXXX』に少し似ている。それも回帰や退行ではなく、しっかり今現在の電気グルーヴと両立している。ひたすら山路を歩いてふと脇を見たら、眼下に懐かしい街の眺めが広がっていた、みたいな。生まれたばかりの姪っ子に祖母の面影がある、みたいな。
 
電気グルーヴの歌詞には不穏な風景がある、とさっき述べた。「エジソン電」「ドリルキング社歌」「スコーピオン」「タランチュラ」、枚挙に暇がない。それは「世界は簡単に歪みうる」という感覚だ。しかも遠いどこかの話ではない。目の前にある万年床の四畳半から世界が歪むのだ。言うまでもなく歪んでいるのは歌詞の主体たる私の認知かも知れない。そこははっきりしないまま、引力を持った奇妙な風景を凝視することしかできない。
 
その感覚が久々に帰ってきたと思った。違っている部分もある。発声して気持ちのいい言葉が選ばれているのは近年の特徴だ。むしろ音に縛られた言葉が、自由で見たことのないフレーズを導いている感さえある。以前は風景に目を奪われる感じだったけど、今はなんだか余裕があって、風景の滑稽さや美しさも同時に眺めている、と感じる。全部私の妄想かもしれないけど。これが成熟だっていうなら、そうなんだと思う。
 
歌詞のことばかり書いてしまった。曲もめちゃくちゃかっこよくて、音楽の知識も語彙も少ないからめちゃくちゃかっこよくてよかったですしか言えないけど…。今度ライブも行くんですけど、多分友人たちには想像もできないほど飛んで跳ねて叫んで全身の筋肉が終わってしまうだろう。「人間と動物」のツアーの時そうだったから。
 
今一番好きなのは「顔変わっちゃってる。」です。いやでも迷うな。「人間大統領」の「コンビニ袋にスタンガン」とかもう俳句の域じゃんって思うし。「プエルトリコのひとりっ子」なんてほぼ谷川俊太郎だし、「柿の木坂」はもう電気グルーヴっぽさがふたまわりくらいしてボケてるのか泣いてるのかわかんなくなるし、「UFOリック」もいい気分になるし「ヴィーナスの丘」の夏木マリもめちゃくちゃいいしな…捨て曲がいっこもない。困った。困らない。このアルバムの曲ぜんぶ握りしめて明日もやっていきたい。

夢日記:虫かごのスズメバチ

街中の花壇や車止めを疾走する一風変わったマラソン大会のために大病院の庭でトレーニングをする。芝生の上でストレッチしていると、そばに虫かごが置いてあることに気付く。虫かごにはアマガエルが一匹入っている。病院の先生が長期入院患者の心をなぐさめるために飼っているのだ。虫かごには新鮮な枝葉や、隠れ家になるプラスチックの小屋なども入れられていてなかなか快適そうに見える。しばらくストレッチを続けたあと、もう一度虫かごをのぞいてひどく驚く。先程まではいなかった大きなスズメバチが入り込んでいるのだ。スズメバチは鶏卵ほどの大きさがあって、お尻の針は鋭く、黒と黄色の体色は鮮やかでフィギュアかおもちゃみたいだ。スズメバチが仰向けになって白い繭をくるくると脚で回していることから、これは女王蜂だとわかる。蛙は蜂の存在に気付いているのかいないのか、のそのそ小屋に入っていって動かなくなる。気付いたとしても体格差がありすぎて蛙に勝ち目はないだろう。そうしている間にもスズメバチは繭を回し続け、表面がだんだん白から茶色へ変わっていく。スズメバチは繭を抱えて虫かごの蓋の網目にくっつける。繭に亀裂が入ってするりと脱げ落ち、中から茶白まだらの泡が出て来る。泡が少しずつ弾けて消えると、下からお馴染みの巣が現れる。こんなふうにスズメバチの巣ができるなんて知らなかった。女王蜂は元いた場所に戻り、葉っぱにたくさん卵を産みつけている。サヤインゲンのような細い緑の鞘に白い斑が入っていて、先端には黒い毛がふさふさと生えている。ここから第一世代の働き蜂が生まれるようだ。早くなんとかしないとアマガエルが危ない。しかし女王蜂の針が怖くて手を出すことができない。じきに虫かごの中は生まれてきた働き蜂でいっぱいになるだろう。私にはどうすることもできない。

いい匂いのまばたき


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「あっ。またやっちゃった」という事柄が誰の生活シーンにもあると思う。その人のある性質によって、または複数の性質の巡りあわせによって繰り返される小さな過ちが誰にでもあると思う。いわばプログラムのエラーであり、週に数度、人によっては毎日のようにやってしまうバグだ。しかしそれは些細な間違いで、些細であるためになかなか改善されない。もっと重大な欠陥、たとえばすぐ浮気してしまうとか、すぐ神社の絵馬を盗んでしまうとか、11月の夕暮れの踏切で信号音を聞き続けるとつい奇声をあげながら近くのお年寄りを次々に突き飛ばしてしまうとかであれば、人生の課題として認識できる。些細な間違いはそうはいかない。朝の通勤電車には、そうしたエラーを抱える人で今日もいっぱいのはずだ。
 
私は毎朝起きると眠い目をこすりこすり、布団を整え、寝落ちしていたらシャワーを浴びて、ごはんを食べ身支度をしてマンションを出る。最近化粧の時に香水をつけるようにしているが、なかなか気に入っている。PATCH NYC というアメリカの練り香水だ。ネットで見かけて容器に一目惚れし、ニューヨークに行かなければ買えないと思って悔しがっていたところ、偶然手に入れた。約束をすっぽかされて時間つぶしに入った雑貨屋で売られていたのだ。いくつも種類があるけれど、さんざん迷って鹿の絵の描かれた練り香水を選んだ。香りの成分はヒマラヤ杉、コリアンダー、レモン、ラズベリー。女性的過ぎず、ちょっと不思議な感じがするところがいい。左手で小さな容器を持ち、右手の中指で固いロウ状の練り香水をくるくるととって、首の左側と左手首に塗る。容器を持ち替えて左手でも同じことをする。鼻はいい方なのでほんのちょっぴりしかつけない。そしてよい気分で鞄を持って仕事に出かける。
 
ここからがエラーの話なのだが、私は家から会社へ向かう電車の中で絶対に目をこすってしまうのだ。ヌルッという感触がして、あっ、またやってしまった、と思う。中指に残っていたさっきの香水が目頭にくっつく。皮膚につけるものだから問題ないかもしれないけれど、目の周りは皮膚が薄くて心配になるし、なんとなく違和感が残る。
練り香水を使うまで自分がどれだけ中指を使っているか知らなかった。私の手は中指が一番長く、人差し指より1センチほど突き出ている。注意して自分の行動を観察していると、エレベーターのボタンを押すのも中指だし、紙の感触を確かめるのも中指だし、鞄の持ち手を引っ掛けるのも中指である。クソ野郎に突き立てるための指だと思っていたが、長くてすごく便利なのだ、中指は。

 

エラーには気づいたが、改めることはなかなかできない。今日も目からいい匂いをさせて電車に乗っている。