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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

電気グルーヴ『TROPICAL LOVE』

 
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やーもう最高です。本当に素晴らしい、よかった、よかった、これからもがんばってやっていきたいですね。
 
何がって電気グルーヴの新アルバムの話で、いつも以上に要領を得ない文章になると思うから別に読まなくていいけど聞きたて一週間の今の感想を書いておきたい。ほらアルバムって聴き込んでいくとお気に入りの曲が変わっていったりするでしょう。
 
さて、一週間前に電気グルーヴの新譜が出た。ずいぶん前から待っていた。そしてそれが期待以上によかったので私はとても嬉しい。
 
ここ数年の電気グルーヴの歌詞は意味を脇に置き、発声した時の気持ちよさに重点があって、それはそれで好きだった。けれど私は不穏で断片的な風景を幻視するような曲に共鳴する方で、一番好きなアルバムは『VOXXX』だ。あと売上的には振るわなかったという(わかる)『ORANGE』もけっこう好きだ。と言えば、大体電気グルーヴのどういうところに惹かれるのか、伝わる人には伝わると思う。
 
そうそう、さんざんいろんな人が言っているけれど、今回のアルバムは『VOXXX』に少し似ている。それも回帰や退行ではなく、しっかり今現在の電気グルーヴと両立している。ひたすら山路を歩いてふと脇を見たら、眼下に懐かしい街の眺めが広がっていた、みたいな。生まれたばかりの姪っ子に祖母の面影がある、みたいな。
 
電気グルーヴの歌詞には不穏な風景がある、とさっき述べた。「エジソン電」「ドリルキング社歌」「スコーピオン」「タランチュラ」、枚挙に暇がない。それは「世界は簡単に歪みうる」という感覚だ。しかも遠いどこかの話ではない。目の前にある万年床の四畳半から世界が歪むのだ。言うまでもなく歪んでいるのは歌詞の主体たる私の認知かも知れない。そこははっきりしないまま、引力を持った奇妙な風景を凝視することしかできない。
 
その感覚が久々に帰ってきたと思った。違っている部分もある。発声して気持ちのいい言葉が選ばれているのは近年の特徴だ。むしろ音に縛られた言葉が、自由で見たことのないフレーズを導いている感さえある。以前は風景に目を奪われる感じだったけど、今はなんだか余裕があって、風景の滑稽さや美しさも同時に眺めている、と感じる。全部私の妄想かもしれないけど。これが成熟だっていうなら、そうなんだと思う。
 
歌詞のことばかり書いてしまった。曲もめちゃくちゃかっこよくて、音楽の知識も語彙も少ないからめちゃくちゃかっこよくてよかったですしか言えないけど…。今度ライブも行くんですけど、多分友人たちには想像もできないほど飛んで跳ねて叫んで全身の筋肉が終わってしまうだろう。「人間と動物」のツアーの時そうだったから。
 
今一番好きなのは「顔変わっちゃってる。」です。いやでも迷うな。「人間大統領」の「コンビニ袋にスタンガン」とかもう俳句の域じゃんって思うし。「プエルトリコのひとりっ子」なんてほぼ谷川俊太郎だし、「柿の木坂」はもう電気グルーヴっぽさがふたまわりくらいしてボケてるのか泣いてるのかわかんなくなるし、「UFOリック」もいい気分になるし「ヴィーナスの丘」の夏木マリもめちゃくちゃいいしな…捨て曲がいっこもない。困った。困らない。このアルバムの曲ぜんぶ握りしめて明日もやっていきたい。