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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

初夢、大戸屋グランド・パラダイス

昼寝をしたら夢を見た。正月からすでにいくつか夢を見ていたけれど、どれもあまりはっきり覚えていなかった。なんとなくめでたいようなうれしいような夢だったので、これを初夢と認定し、メモしておくことにした。

 

新年を祝ってサンカクカンケイのメンバーで集まることになった。集合場所は片側4車線ある広い道路のはじっこの歩道である。遅刻して到着すると、すでにメンバーが数人、銀色の金属柵の前で立ったり座ったりとめいめいにぼんやりしていた。

※サンカクカンケイは私が所属する秘密結社。最後の活動は2014年の東京文フリ。

 

柵の向こうはコンクリートの崖で、地味な田畑が漠然と見下ろせる。道路を挟んだ向こう側はほとんど森だが、私たちの真向かいには7階建てくらいのビルが建っている。

 

寒いのでみんな着膨れしている。マフラーやダウンのコートでもこもこになって、遠くからは猫の集会みたいに見える。だれも移動しようとは言い出さず、いつものように灯台守になりたいけど有人灯台はもう国内にない話とか、また文フリに出たい出よう出ましょうねという話とか、最近きた趣ぶかい迷惑メールの話とかをする。

 

話し足りないうちに暗くなり、なんとなくもう少し駄弁るかという雰囲気になる。徹夜を覚悟した私が「ごはんやお風呂はどうするんですか」というと、全員が口ぐちに家を出る前に済ませてきたと言う。みんなすごく用意がいい。オールナイトには付き合いたいけれどどうしよう困ったなと思う。

 

だれかが「そこの大戸屋に行ってきたら?」と向かいのビルを指差して言う。大戸屋には行ったことがある、メニューが豊富でオプションやサイドメニューの充実した定食屋だ。わけのわからないまま道路を渡り、ビルに入ると、予想に反してたくさんのお客でごった返している。

 

全国展開する大戸屋は現在、さらなる顧客満足の創造を目指し、食の枠組みを超えた事業に取り組んでいる。その実験店舗がここ、「大戸屋グランド・パラダイス」。定食コーナーはもちろん、銭湯や休憩スペース、マッサージルーム、宿泊所までを備え、郊外でお住まいの皆様に最高の癒やしと楽しみをご提供する、リラックスアミューズメント施設です。

 

ということが分かり、なるほど、と納得する。たぶんバブル崩壊後につぶれた旅館を居抜きで使っているのだろう。天井は低めで建物に時代を感じるが、適度に雑然としていて居心地がいい。客層も中年男性や親子連れが多く、安ホテルとして利用している人も多そうだ。

 

システムがわからないままフロントの店員に話しかける。どうも会員と非会員で料金体系が異なるようだが、店員が外国人なので意思疎通がうまくいかない。脇から「どうしました?」と店長らしき人が入ってくる。見た目は完全にパトレイバー後藤隊長だ。店長は驚いたことに、父が昔常連だった居酒屋の元店主である。

※現実の父とは違う仮想父。

 

店長に試算をしてもらう。会員になるとリーズナブルだし自由も利くが、非会員にとってはかなり馬鹿げた料金体系であることがわかる。たとえば、会員は銭湯のみ大人430円での利用が可能だが、非会員は銭湯+宿泊+御飯2食付きが基本のセットで43,500円もする。「大戸屋グランド・パラダイス」はまだ実験中の店舗であるため、会員登録にも数日かかる。だから今日は利用できないけれど、今後同じような複合施設が全国にできる予定なので、よかったら会員登録だけしていってください。ということを後藤隊長のニヤケ面で説明される。

 

店長に「わかりました、あとで会員登録だけして帰ります。ありがとうございます」とお辞儀をして出ていこうとすると、店長が「友達と来てるんでしょ、おれもあいさつしたいなあ」と言って付いてくる。

 

再び道路を渡り、金属柵の前へ戻ると、みんなのタッチがパトレイバー時代のゆうきまさみに変わっている。さっきまで実写だったのに。「そのおっさん誰?」というみんなの視線を受けて「大戸屋の店長さんで、父の知り合いです」と紹介すると、店長が「お母さんとも知り合いだよ。どうやってお父さんと知り合ったかもぜんぶ知ってるよ」と言われびっくりする。

※この母も仮想母である。

 

みんなに向かって拳を突き出し、「大戸屋の会員になることにしました!」と宣言する。みんな覇気のない声で「おー」「おー」と言い、力ない拍手でパタパタと祝福してくれる。私はああ、なんか楽しくなってきたなあと思う。

 

本年もよろしくお願いいたします。

冬はふさぎの虫

人には二種類いて、冬が好きな人と冬が嫌いな人がいる。私は圧倒的に後者で、毎年「どうして人間には冬眠という機能が備わらなかったのだろう」と思いながらひたすら耐えている。冬が好きな人はたいてい「冬の朝のきりっとした空気の中を歩くのが好き」などと言う。私にはぜんぜんわからない。冬の朝なんて冬の夜の次に最悪でとにかく寒い、歯の根があわない、全身震えて涙が出てくるし誰かと出くわしても「いややははは、きょおおおも寒いですねへへへ」という感じになっていつも以上に会話が成りたたない。それから何といってもつまらないのが気に入らない。どうつまらないか。風景がつまらない。ほとんどの木は丸坊主になって骨みたいな枝がさびしい。はっきりしない曇りの日ばかり続いていらいらする。私はうつむいて歩く癖があるけれど、冬は虫の類が見られなくなるので、うつむく甲斐があまりない。
 
冬にはもっと実害がある。憂鬱になることだ。6年ほど前がいちばんひどくて、その時はひと冬ずうっと寝ていた。とにかく眠くて仕方がなく、毎日10時間12時間と眠った。寝ている間も昔の嫌なこと悲しいことがついさっきの出来事みたいに押し寄せてくるので落ち込むのに忙しかった。当然、大学の成績はガタ落ちし、サークルにも顔を出さなくなったのでそろそろ社会的に死ぬかなという頃、冬が終わって春が来てけろっと治った。数年後に冬季うつ病とか季節性情動障害といった言葉を知ってなるほどねと思った。医者にかかったわけではない。そもそも医者にかかるほど重篤でもないけれど、確かに私には傾向がある。その年の憂鬱ぜんぶが冬季うつ病のせいではなかったかもしれないが、とにかくそれから冬にはとくべつ気を配るようにしている。
 
ここ最近はだいぶん調子がいい。職についたので強制的に規則正しい生活をするようになったし、せめて自由な時間には楽しいことをしようと必死になるから、眠り沼に沈んで憂鬱が憂鬱を呼ぶパターンにはまりにくい。毎冬1日くらいは憂鬱に捕まって寝る時しくしく泣いたりもするが、恒例行事としてやり過ごせるようになってきた。注意すべきシグナルも自分なりに見えてきて、私の場合、異様に童謡が聞きたくなったり、ついお菓子を食べすぎたり、ネットで心理学用語を調べて性格診断テストで一喜一憂するようになったりしたら要注意だ。
 
狩猟を始めた(始めようと努力している)こともうまく影響している。有害駆除を除いて基本的に登録狩猟は、冬にしかできない趣味だ。獲物を探して歩くようになり、冬だって植物や動物がそれなりに生活している、ということが認識できるようになってきた。「冬がつまらない問題」、解決である。
 
思い返すと、つらかった数年前は襲ってくる悲しみを本当に悲しいと思っていたからつらかったのだ。嫌な記憶が波のようにやってくるとそれを頭からかぶってバカ正直に悲しんでいた。今は、梅雨の時期はひざが痛いなあ、という感覚で「ああまたお脳が勝手に悲しんどるわい」と受け取るようになったのでずいぶん楽だ。これもやり過ぎるとこの先本当につらいときに気づけない、なんてことがありそうだが、冬季うつ病への立ち向かい方としてはそんなにずれていないと思う。
 
それを考えると昔の人はえらくて、憂鬱のことを「ふさぎの虫」といった。私がふさぎの虫という言葉を知ったのは小学校の頃、おそらく6歳ごろだろうか。なぜ言葉を覚えたての子供がそんな単語を知っていたかというと、佐々木マキの「たわごと師たち」という絵本に出てきたからだ。
 

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「たわごと師たち」はエドワード・リアのナンセンス詩を佐々木マキが翻訳し、漫画化したもので、福音館書店の「おおきなポケット」という児童雑誌に連載されていた。大人になった今読み返しても毒気の強い不条理な世界が怖く面白く、よくこんな連載を児童向けにやったな、やっぱり初期「おおきなポケット」は尖りまくりで最高の雑誌だなと思うのだけれど(絵本の裏表紙を見ると「小学1~2年生から」と書いてあり仰天する)、とにかく佐々木マキは幼稚園児も読むような雑誌に「ふさぎの虫」という言葉をぶち込んできたのである。それはこんな詩だ。
 
 
ある老人は
ふさぎの虫にとりつかれ
ウサギを一羽買ってきた
 
ある晴れた日に
さんざんあちこち乗りまわし
やっと 少しは気が晴れた
 
 

 

先ほど、リアのナンセンス詩を佐々木マキが翻訳し漫画化したと述べたが、実際にはかなり佐々木マキの解釈というか、補完が入っている。この詩では「ウサギを一羽買ってきた」あとに老人が白衣を着て蒸留装置のようなもので薬を作るコマが入り、「ある晴れた日に」のコマでウサギに薬を注射している。最後のコマでは、老人が薬の作用で巨大になったウサギを乗りまわしていることがわかる。
 


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詩だけ読んでも意味がわからない(韻を踏むナンセンス詩なので当たり前といえば当たり前)原作に、子供でも没頭できるよう佐々木マキの漫画が橋渡しの役割をしていて、とても魅力のある絵本だ。これを読んで育ったらひねくれた子供になることうけあいである。
 
それはそれとして、ふさぎの虫だ。老人はふさぎの虫にとりつかれた。小さい頃の私はこの詩を読んで、文字どおりふさぎの虫という虫がいるなんてことは思わなかった。自分の意志に関係なくやってくる災害のようなものだと何となくわかった。それなのに自分が冬、落ち込むようになってからは、どうにも悲しさと精神が分かちがたいものだと思ってしまった。しかし結局、老人はある晴れた日にウサギを乗りまわさなければ、気が晴れなかったのだ。
 
今や「冬季うつ病」で検索すると、同じことで悩む人たちのコメントがわんさか出てくる。対処法も同じくらい出てくる。どこまでが信頼できる情報かわからないが、冬季うつ病には「セロトニン」を補うのがいいと書いてある。バナナを食え。歩け、走れ、筋肉をつけろ。日光を浴びて人と話せ。どれも具体的で、身体的なアプローチであることがありがたい。

 

先日、久しぶりに自転車に乗って家の近所を走っていたら、30分ほど漕いだところで池のある公園を見つけた。道がきれいにならされていて町の人たちがウォーキングや犬の散歩、子供の自転車の練習にやってくるような場所だ。坂の多い地域なので平らな道ってめずらしいなと思い、しばらく走ってみることにした。午後2時くらいで快晴で、陽の光があたたかった。自転車はペダルを踏むほど前に進んだ。すれ違う犬がこっちを見た。風がひゅうひゅう吹いていた。池はほとんど干上がってひび割れだらけだけれど真ん中には大きな水たまりが残っていて水面は静かに波打ち、その縁にサギやカモたちがたくさん集まり何やら思案しているようだったりただぼーっとしているようだったりするのが遠くに見えた。気持ちよかった。気持ちいいというレベルをはるかに超えて最高だった。セロトニンというやつ、ドバドバ出ていたと思う。セロトニンさん、ありがとう、ふさぎの虫を叩き潰してくれて。冬至が終わって日はこれから長くなる。巨大ウサギを乗りまわす以外、私たちに道はない。

網猟の「突き網」をつくる

「鳥を網で捕る猟法がある」と聞いてわくわくした勢いで網猟免許を取りました。

取ったはいいけど教えてくれる師匠がまだ見つからない。せっかくの猟期に何もしないのもなんなので、網を自作しました。
 

網猟はマイナーなのか

網猟がどんなものかはこれらの記事で知った。
 
 
「うまく行けばスズメやカモが一度に何十羽も捕れるなんてすごい!」と、免許を取ったものの、猟友会の方には「罠や銃ならたくさん教えてあげられるんやけどね…網猟はね…うちにはあんまりやる人がおらんねん」と言われた。
 
なんとなくそんな気はしていた。試験の時も罠や銃に比べて網は人数が少なく、全体の1割すら切っていたんじゃないだろうか。罠と似た部分もあるのになぜ少ないんだろう?
 
・趣味の側面が強い。 ターゲットは鳥類であり、増加が止まらず食害の大きいイノシシ、シカのように狩らなければいけない切実な理由が少ない。
・あまり「狩り」って感じじゃない。 銃に比べて、囮や餌を使った待ちのスタイル(だからこそ私向きだと思ったけど)
・バクチ性が高い。猟果の振れ幅がゼロから数十と大きすぎる。
・単純に難しい? とにかく鳥の生態を知り、動きを読んで待つしかない。自分から攻められない。
 
地域性の要素もかなりありそうだが、素人がざっと思いつくのはこんなところだ。
 

とりあえず簡単そうな「突き網」から作ってみよう

猟友会の方には、網猟をやっている猟師さんを紹介していただけることになった。でも、それまでただ待っているのも切ないので、自分で網を作ってみることにした。網猟で使う仕掛けには無双網、突き網、坂網、など何種類かがある。
 

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無双網
 

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突き網
 

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なげ網(坂網)
 
ネット上のレポで見かけるのは無双網だが、まずは突き網を作ってみよう。突き網は大きな網に柄がついていて、これをかまえてタシギなどのまわりをのの字を描くようにぐるぐる周り、距離を縮めて捕る(と言われている)。飛ぶ鳥をそんな簡単に捕まえられるかなあと思うけれど、そうなのだから多分そうなのだ。かさばらないし、構造も単純。この程度なら100均の虫取り網でもいいんじゃないかという考えが頭をかすめたが無視した。「魔女の宅急便」でもキキは出発前に自分でホウキを作っていた。道具を自分で作るのは大切なことなのだ。
 
ところが「突き網 作り方」などで検索しても、突き網の作り方は出てこなかった。先ほど上げたようなイラストや、魚捕り用の網ばかり出てくる。素材は竹か木でいいとしても、大きさは、網の素材は、竹の組み方は、などなど、これだけインターネット集合知が発達した時代なのにほとんどわからないのだ。さらにムキになって「つき網」で検索した時など、局部のみに網状の生地をほどこすことで爽快感をアップした男性用下着が出てきて目が腐りそうになった(各自ご検索ください)。驚きの事実。なんと、突き網を作るには、自分で考えなければいけない!これを書きながら思ったけれど私はインターネットによって相当脳が退化している。
 
結局、どこかのブログにあがっていた突き網の写真を凝視して大体作り方が想像できたのでこの問題は解決した。突き網の構造が単純で本当に良かった。
 

今回の突き網(試作)の作り方

突き網(試作)は今回、以下のような材料で作った。「今回」というのは、結論から書きますが「失敗しまくったので万が一にも参考にしないで」という意味です。
 
【材料】
コーナンの園芸用の支柱竹数本
コーナンの防鳥網 ←最大の失敗
・紐
・ガムテープ
 
【道具】
ノコギリ、ハサミ、キリ、ペンチ
 
①60センチ程度に切った竹にキリで穴をたくさん開ける。
②3本を合わせて三角形を作り、それぞれの端を8の字で結ぶ。この結び方にしたのは折りたためるように。

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③竹の穴にハリガネを通し、防鳥網を取り付ける。
④そのままでは防鳥網がハリガネにひっかかるので、ガムテープで穴を巻いて処理する。
⑤柄をつける。
⑥出来上がり。


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あっちこっちボロボロだし、何より網と柄の接続がガムテープなのでかなり汚さが増しているけれど、枠と網さえあればそれらしくなるものだ。今回の最大の反省点は、網に防鳥網を使ったことだ。とにかくからまる。竹にもハリガネにも自分もからまる。そしてからまった網は見た目が限りなくゴミっぽくなる。作っている間「防鳥網はクソ、防鳥網は網戸の網以下。防鳥網が憎い…」と何度つぶやいたかわからない。いや、防鳥網は悪くない。防鳥網は防鳥網であり捕鳥網ではないのだ。範囲外の仕事をさせようとした私が悪い。もう二度と防鳥網にこんなことをさせないと約束する。
悲しいことに、後日
こちらの記事ですでに防鳥網のダメさが指摘されていることがわかった。偉大な先達がいたのに気付けなかったのはショックだ。
今回の反省点を踏まえて、次回はもっと効率的かつ経済的かつゴミっぽくない突き網に挑戦する予定である。ちなみに材料は全部数百円なのでそれだけが救いだった。
 

(おまけ)ちょっとだけ出猟した

 
せっかく作ったのだから網をかついで自転車で近所の田んぼをまわってみよう。
 
転けました。
 
ひざ、すりむきました。痛い。
 
タシギ、いない。スズメ、警戒心めちゃくちゃ強い。
 
網猟の道は険しい…負けないぞ…。
 
すりむいたひざをさすりながら思い出しました。
魔女の宅急便」 の冒頭でキキは自分でホウキを作ったけれど、結局それは使わずに、お母さんのお下がりのホウキで飛び立ったんだったなあ。

解禁日に出猟しなかったことと左右というバンドについて

解禁はしたけれど

土曜日、猟友会の方から「登録証が来たからいつでも取りに来て」と電話があった。

登録証というのは狩猟登録証のことで、ハンターは狩猟をしたい都道府県ごとに狩猟申請を出す。狩猟免許を持っていても登録証がなければ出猟できない。狩猟中も必ず携帯しなければならない大事なものだ。

 

10月に申請はしたもののなかなか登録証が来ずソワソワしていた私は、なのでさっそく受け取りに行った。登録証以外に野外で目立つオレンジ色のベストと帽子、狩猟手帳に登録証、会報誌、それから銃弾で作ったキーホルダーをもらった。

 

翌日、日曜日は地域の狩猟解禁日だったが、私は残念ながら出猟しなかった。理由は、雨降りと思われたこと(結果的には曇り時々晴れだった)、風邪気味だったこと、それから私のやろうとしている網猟は猟師のなかでも人口が少なく、まだ教えてもらえる機会の目処がたたないこと。これについては猟友会の方が紹介してくださることになった。

 

それから大きな理由がもうひとつあって、左右というバンドがライブのために大阪へやってきたことだ。


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 左右というバンドについて

以下、話題がガラッと変わってしまうのだけど、左右は東京を中心に活動する横浜のツーピースバンドである。無機物っぽい方を花池洋輝さんといい、ベースとドラムとヴォーカルをいっぺんにやっている。有機物っぽい方は桑原美穂さんといって、ギターとカズーとヴォーカルをいっぺんにやっている。わかりにくい名前だけど「左右」がバンド名である。

【左右】 - 左右

 

最初に存在を知ったのは花池さんの方だった。第一の印象は「なんだこの骨のきれいな人は!」であり、第二の印象は「骨のきれいな人というよりきれいな骨みたいな人だな!」だった。

デイリーポータルZで、プープーテレビ「ともだち探そう」という動画シリーズが始まった。左右の花池さんと、トリプルファイヤーの吉田さんというミュージシャンふたりがあちこちへ出かけ、通り魔的に友達を探そうとする企画だ。ここが大事で、「ともだち見つけた」ではない。「ともだち探してみた」ですらない。あくまで「ともだち探そう」なのだ。※知り合いでもないミュージシャンにさん付けするのはすごく変だけど、なんかいやなので付けます


ともだち探そう第一回「後ろ向きな二人」(プTV) - YouTube

 

この二人のコミュニケーションの空回りぶり(撮影・編集の大北さん曰く「ポンコツぶり」)に目が釘付けになり、次回の更新が待ちきれずに左右の動画を見始めた。大体どのMVでも花池さんの横でかわいい声の人が暴れまわっていた。気づいたらCDを買っていた。ちなみに同じような工程を経てトリプルファイヤーのCDも買った。

 

左右の音楽がどんなかと言うと、音楽に詳しくない私にはよくわからない。この日記を書く前にネットでいろんな人の説明を読んだけれどさっぱりわからなかった。YouTubeに素敵なMVがたくさんあるので聞いた方が早いと思う。


左右(sa yuu) 『イエローヘイト』 MV - YouTube

私にはただぎこちなくてカッコイイというそれだけだ。

 

CDで聞くより気まずさが2倍

左右が大阪に来ると聞き、生まれて初めてライブハウスへ行くことにした。長くなってしまうので書かないけれど他の演奏もすごくおもしろかった。想像していたライブと同じだったり、違ったりした。

 

たとえば「バンド仲間同士は目と目で会話するもの」と思っていたが、左右の二人はほぼアイコンタクトをしなかった(他のバンドはやっていておおっと思った)。花池さんは右奥に座り、桑原さんは左前に立ち、二人ともどこを見ているのかよくわからない。曲と曲の合間では、桑原さんが開始の合図を読み取ろうと花池さんに顔を向けるが、当の花池さんは宙を見ていたりする。そして突然MC(MC?)みたいなものが始まるのだけれど、

 

「先日、知り合いから、いい本を、貸してもらって。読んでみたら、すごくいい、本だったので。いい体験をしたなと思いました。」

 

といった内容に終始し、かと思えば言葉がぷつんと途切れて次の曲が始まったりする。そういう時、二人を介して場全体へ気まずい空気が広がる。

 

「気まずい」は左右のキーワードである。歌詞にもレビューにもインタビューにも頻出する。「気まずい」ってどういうものだろうか?辞書には「互いの気持ちがしっくりと合わず不快なさま」と書いてあるが、私は沈黙がハウリングを起こすことだと思う。

 

互いに気持ちがかみ合わないと、対話に意図しない沈黙が生まれる。わたしの沈黙とあなたの沈黙が共鳴し、ふくれあがり、対話をかき消してしまう。沈黙は静かであるとは限らなくて、それが左右の音に現れてくるのではないか。

 

世の中には励まされる歌とか一体感が得られる歌とかいろいろあるのに、左右は違っている。身に覚えのある居心地の悪さが歌われること自体にはほっとする。しかしほっとする前に、何か突きつけられたような、極端にいえば攻撃されたような衝撃がある。別に歌詞が過激な訳ではない。ただ気まずさのなかではどんな身動きも危うく、そのせいであらゆるコミュニケーションが暴力のように思われるのだ。歌うのも聞くのもともだちを探そうとするのも。

左右はこの世に向かって居直り強盗をしているんじゃないだろうか。私たちは分かり合えないが、気まずさだけは手に入れられる。

 

 ところで曲の感想をいくつか書きます。

「河童」のMVには、いつもは並んで演奏する二人がガッと向き合う場面があってすごく好きだ。


左右(sa yuu) 『河童』 MV - YouTube

ライブではガッと見合うことはなかったのだけど、冒頭、桑原さんがこちらに背を向け、花池さんに向かい合う格好でシンバルをバシャーン、バシャーンと叩き始めたので私の中の腐女子が大歓喜してしまい、そのあと元の位置に戻る勢いで桑原さんの放り出したスティックがからからーんとこちらへ転がってきた瞬間「コミュニケーション…あ、あ、ありがとうございます…南無」とつぶやきながら腐女子は成仏した。

 

最後の曲は「箱のうた」だった。

 

youtu.be

途中から花池さんが立ち上がり、マイクを持って前に出てきた。桑原さんと花池さんは並んで歌う間じゅう、左右になったり、また桑原さんと花池さんに戻ったりを繰り返しながら、明滅するようにして歌っていた。ああよかった、と思ってちょっと泣きそうになった。

 

左右はますます人気者になってちやほやされてほしい。お金をいっぱい手に入れてほしい。そしてどんなに幸せになっても世界に対する気まずさを一生抱え続けてほしい、どうかお願いします。