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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

『夏休み子ども科学電話相談』を聴くとむせび泣いてしまう

昨日からNHKラジオ第1放送で『夏休み子ども科学電話相談』が始まった。

超人気番組だが念のために説明すると、全国の子供たちから生の電話で寄せられる科学の質問に、各分野の先生たちがわかりやすく答えてくれる夏休み限定のラジオ番組だ。

 

3、4年前からこの番組が夏の大きな楽しみになっている。

なるべく欠かさず聴いているが、大人がこの番組を聴くのは意外と大変だ。放送時間は午前8時5分から午前11時50分、日中勤めているとまず生放送で聴けない。

そもそもニュースや音楽の時間が挟まるとはいえざっくり4時間あるラジオを約20日間聴き続けるのはけっこう難しく、効率的にスケジュールを組まないとあっという間にパンクしてしまう。

 

私は「録音ラジオサーバー」というアプリを使っていて、放送時間中はとにかくこれを録音モードでぶん回し、スマホが他の仕事もできずアッツアツになって午後には充電が事切れるのもいとわず音源を確保している。

(今気がついたけど、「らじる★らじる」で公式に聴き逃し配信をしている!去年から?ひゃっほー!)

移動中はもちろん昼休みの休憩にも聴き続け、時には「自分の子供に聴かせててもおかしくない歳やないの」などと親に苦言されながら家でも聴き続け、放送日中に消化できるよう努力している。

 

はっきり言って番組の放送期間中は、『夏休み子ども科学電話相談』の合間合間に生活をやっていると言っても言い過ぎではない。

 

なぜここまでしてこの番組を聴いてしまうのだろう。

 

他にはない魅力があるのだ。この番組でしか味わえない感覚というのがあって、私は聴きながらしょっちゅう泣いてしまう。

朝の日差しが照りつける歩道で、通勤電車の座席で、昼に入ったモスバーガーで、布団にごろごろ寝そべりながら、「ぐぅ……」と呻いて涙をこぼし、人目をはばかりつつもけっして聴くのをやめることはできない。

気にしていたら明日の放送までに聴き終われないからだ。

 

 「泣ける=感動できる」という単純な図式を伝えたいのではない。ただ私の身体反応を率直に伝える以外に、この番組の多面的な魅力を一発で伝える言葉が見つからないだけだ。

しかしせめて私がどんなところで「泣く」のか、ポイントを書き留めておきたいと思う。

 

・なんだったら子供の第一声でやばい時ある

まずもって子供たちの声がかわいすぎる。

情緒が荒れ気味の時などは元気なあいさつだけでウッとなってしまう。

子供の性格であいさつがぜんぜん違うのも味がある。元気ゲージ振り切れ系の「おはようございまーす!!」「こんじちは!!」と音が割れそうになるのもいいし、舌っ足らずに「おあょございます…」「こんんちゎ、、」という感じの子がいるのもかわいい。

中には「ブフーブフー」と鼻息だけが聞こえてきたり、照れているのかまったくの無言というパターンもあってそういう時はスタジオにも緊張感が走る、それもまたいい。

 

ついでに言えば終わり際も要注目だ。大人顔負けに「お仕事がんばってください!」と去っていく子もいれば、質問への答えが消化不良だったのか「…ありがとございましたぁ」と気の抜けたような声もある。

大阪府民の私としては、関西方面からの質問に多い「さよう⤵ならぁ⤵」というぶっきらぼうな去り方が好きだ。

 

・質問の鮮やかさに泣く

この番組の魅力の半分はここにある。昨日の放送分だけでもこんなふうだ。

 

・宇宙に壁はあるんですか?

・カブトムシを洗濯機で洗っても生きていられるのはなぜですか

・星座のからあげ座の作り方を教えてください

・猫と人の愛情はどうやってつながるんですか

 

詩ぎりぎりのラインで子供たちから繰り出される質問に私はいつもノックアウトされてしまう。

 

「猫と人の愛情はどうやってつながるんですか」なんてどうだろう。この質問をした男の子は、その後回答陣に「愛情がつながるってどんなことだと思ってる?」と掘り下げられて言葉に詰まってしまうんだけど、こんなの大人でもスッと答えられる人少なくないですか。愛情がつながるってなんなんだ。「からあげ座」ってなんだ。そんなの考えたことない。

 

質問が詩的な言葉として立っていなくたって、「どうしてペットボトルに水滴がつくの」とか「夕方の空が赤くなるのはなぜ」とか、素朴な疑問はどうしてか胸をうつ。

学年によって質問の傾向がなんとなくあるのも興味深くて、小4くらいから死に関する質問が寄せられたり、中学生から「遺伝子がまったく同じ双子を同じ環境で育てたらどうなりますか」という自我に関する質問がきたりする。

 

子供たちの質問にいつも驚いてしまうけれど、たぶん本当は「そんなの考えたことない」のではなく、私も昔こんなことばかり考えていたはずなのだ。

忘れていたそれを思い出して泣いてしまうのだと思う。

 

 

・先生たちのやさしい声と答え方に泣く

この質問を真正面から受けて立つのが各分野の回答者の先生たちだ。

先生たちはみな声がとてもやさしい。普段から児童向けの教育施設で働いている人もいれば、大学の研究者もいるけれど、聴いていてほっとする声が多い。

 

そして肝心の回答が驚きのわかりやすさなのだ。

 

「あなたはこういうことが知りたいんですね。まず答えから言うと、こうです。それはなぜかをこれから説明しますね。あなたの身近でこんな出来事を見かけませんか?ふしぎですよね。それはこれの仕組みがこうなっているからなんです。興味があったらこんな実験をすると、おもしろいですよ」というのが、典型的な答えの流れである。

 

おそらくある程度の準備や裏方スタッフのサポートがあるとはいえ、生放送で喋っているのに本当に、本当にわかりやすい。仕事で部署外の人と打ち合わせをするのにめちゃくちゃ勉強になる。

 

過去に「アフリカって知ってる?」「知らない」、「ガスってわかる?」「わかんない」というやり取りも聴いた。アフリカもガスも知らない相手にわかるように説明するのだ、その過程はすごくスリリングで興奮する。ナイフとロープだけで無人島から脱出しろみたいな話である。

 

そして身近なことでも意外と知らないことや忘れてしまったことが多くて、子供たちと一緒になって「へえー」と感心できる。

 子供たちが多少間違っていても、包み込むように話を聞き、疑問を持ったことをほめ、必要なところは訂正をして話す先生たちのやさしい声が好きだ。

 

・知的好奇心の邂逅が熱い

子供と大人、という対比でまず述べたのだけれど、この番組のかけがえのなさはきっと「知的好奇心に年齢は関係ない」とわからせてくれるところにあると思う。

 

まだ言葉がおぼつかないような3歳の女の子から質問がきて、先生たちが本当に楽しそうに、時には苦しそうに答えている。

 

恐竜や昆虫といったマニアの多い分野では、先生が「あれ知ってる?これは?」と子供の知識量に探りを入れる場面がたびたびあって、大人と子供がひとつの将棋盤を挟んで向かい合っているような趣がある。

 

子供と先生の対話がどんどん盛り上がってくると年齢の枠はどこかへ溶けて、ただふたつの知的好奇心がぶつかり合っている。そのかけがえのなさと、リアルタイムで立ち会えている喜びに泣いている。

 

・宇宙怖すぎる

分野のひとつに「天文・宇宙のこと」があって、この回答が怖くて度々涙が漏れる。

 

永田美絵先生に美しい声で「私達のいる天の川銀河には数千億の星があって、また銀河自体も数千億あるとされていて…」とか「時間と空間が一緒になった宇宙では、銀河と銀河の間がどんどん遠ざかっていて…」とか話されるともうだめだ、怖すぎてエーンと泣きだしそうになる。

通勤電車で聴いていると本気で電車に乗っている意味がわからなくなり、このまま失踪してやろうかという気持ちになるので注意が必要だ。

 

・アナウンサーのフォロー

毎回アナウンサーが登場して番組を進行し、子供たちと先生をつなぐ役目をしている。

この話の技術が素晴らしくて、先生の回答に視聴者に近い目線で感心し、子供がうっかり置いてけぼりになりそうになると、回答のあとで「先生、つまりこういうことですか」などとパスを出してくれるのだ。

 

夏休み子ども科学電話相談』の先生たちは元々すごく話し上手な人が多いのだけれど、やっぱりプロのスキルはすごい。

 

・まとめ&今年も聞きたいあの瞬間

思いつくまま書いてきた。

今年も私は『夏休み子ども科学電話相談』に泣かされるだろう。脱水症状に気をつけていきたい。

何年か聴いて番組あるあるもわかってきたので、個人的に楽しみにしている先生たちの瞬間を列記しておく。

 

・植物の田中修先生の難しい植物用語コールアンドレスポンス

・昆虫の清水聡司先生の、子供の質問が要領を得ない時発せられる「そうなんや」「そっかそっかぁ」というやわらかい関西弁

・昆虫の丸山宗利先生の切れ味するどい冒頭の結論

・動物の小菅正夫先生の北海道弁(棒=ボッコなど)

・科学の藤田貢崇先生の話に集中できないほど良い声

・なぜか眼鏡の派手さが目に浮かぶ鳥の川上和人先生の声音と話し方

・恐竜の小林快次先生と恐竜キッズのガチンコバトル

・心と体の篠原菊紀先生がさらっと話すエグい心理学の実験

 

記事の始めに書いた「この番組でしか味わえない感覚」、『夏休み子ども科学電話相談』の大好きなところを短くまとめるなら、大人になった現在の自分と、子供だった過去の自分をシームレスに往来できるところ。

私のセンスオブワンダーを取り戻せるところだ。

 

最後に、すごく心に残っている質問を紹介する。確か一昨年あった、「空はどの高さから空ですか」という質問だ。

 

「あなたはどう思いますか?」とアナウンサーに聞かれて、質問した男の子は「地面から1ミリでも離れていたら空だと思います」と答えた。

その途端、くるぶしのあたりからヒタヒタと空がそこらじゅうに満ちてくるのを感じた。

 

今でも時々思い出す。

点取日記 12 落雷の現場

3日前から気になっていることがある。猫が母の部屋に立ち入らなくなった。

 

3日前は朝からよく晴れていたが、夕方になってから空がゴロゴロ鳴り始めた。夕立でもくるかなと思っているといきなりものすごい雷が落ちたのだ。

窓の外がカッと光り、バシャーンという音がした。パリパリッと空気のひび割れる音さえ聞こえた気がした。

 

私は驚いて部屋を飛び出し、飛び出したことには飛び出したあとで気づいた。

光と音がほぼ同時だ。すぐ近くに落ちたのに間違いなかった。

 

リビングへ行くと母も自室から出てきていた。すごかったねと言いつつ、飼い猫が怯えているのではないかと探してみると、食卓の下にもぐりこんでかたまっていた。

 

猫はついさっきまで母と同じ部屋で寝ていたのだが、やはり雷と同時に飛び出したらしい。人間と猫、種族は違ってもとっさの判断は似るものだ。

瞳孔の開いた大きな目で辺りを見回し、ひげと毛を逆立て、カタカタカタと小刻みに震えている。

かわいそうに、と言って私と母とで撫でてやったが、それでもしばらく治らなかった。

 

3日経った今、あれほどお気に入りだった母の部屋に猫は入ろうとしない。

 

どんな猫もそうではないかと思うが、猫にはお気に入りの場所がいくつかあって、いつもそのどれかを専有している。特定の椅子、特定の箱、特定の座布団の上などなど。

夏と冬、あるいは人の預かり知らない理由で使う頻度は移り変わるものの、その場所選びの頑固さには感心してしまう。

 

なのにここ数日、猫は母の部屋に入らない。冬の間のお気に入りだった父の布団にいたり、かと思えば中途半端な廊下の隅にしゃがんでいたりする。なんとも所在なさげで後ろ姿が寂しい。

 

強烈な光と音との現象を、猫は場所と結びつけて解釈したらしかった。つまりこの家のどこにいたって雷は落ちたのだが、猫の考えでは母の部屋の中の、大きな箱の上に寝ていたから、雷が落ちた、あの場所は危険だ、ということらしいのだ。

感電しなかっただけで、私の猫は雷に打たれたも同然である。

 

そのうち気を取り直して部屋に入れるようになるのではないかと予想しているが、きっとあの時寝ていた大きな箱にはもう近づかないと思う。猫は大変に賢く、一度飛び上がろうとして無様に転げ落ちた高い棚には二度と乗ろうとしないし、同居しているカメにも一度噛まれたので手を出さない。

 

雷は家の中に落ちた訳ではないと教えてやりたいが、言葉が通じないので困っている。

 


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「今日学校で居ねむりをしていた 2点」

 

高校時代は四六時中眠くてしょっちゅう居眠りをしていた。

今職場で居眠りなんかしたら単位を落とすどころかおまんまの食い上げになる可能性があるのでそうそうできない。

よくラジオをかけたままうとうとしてしまうのは、安全な居眠りがしたいのかもしれない。

点取日記 11 捨てやすさのハードル

昨日と変らず引っ越しの準備で色んなものを捨てている。

引きこもってひたすら作業をしているので正直書くことがあまりない。どんどん物を仕分けしていてわかったのは、「捨ててもいい」「捨てたくない」という線引きが目的によってかなり変化することだ。

 

元々かなり物が多い、きれいとは口が裂けても言えない部屋なのだけれど、これでも折りに触れて物を捨てるようにはしていた。だから引っ越しついでに要らない物を処分しようと決めた時も大して捨てられないんじゃないかと思っていた。

 

ある。捨てるものぜんぜんある。ここで暮らし続けるなら捨てられないけれど、自分はもうこの家に当分戻ってこないのだと自分に言い聞かせると捨てやすさのハードルが一段下がる。

極論すると引っ越し先に持っていかないものは要らない物なのだ。さすがにそこまで思いきれないけど、一旦すべてを薄く広い意味で不要の箱にぶち込んでいるので諦めがつきやすい。

 

そうやってぽいぽい捨てておいて、どうしても捨てられないものがかわいい付箋だったり、元同僚に描いてもらった似顔絵だったり、タイで買って持て余したボディパウダーの缶だったりするから不思議だ。

引っ越しではなくて外国に移住するあるいは亡命する、あるいは火星移住計画に参加する、と前提が変われば選ぶ物もまったく違うだろうと思う。

 

話が変わるんだけどノアの方舟のノア、あいつも絶対動物を選んでいる。積載量に限りがあるからマストアニマルから乗せたはずだ。キリンに似た首の長い動物、キリソは置いていかれたし、ハダカデバネズミは選びすぎて脳の疲労したノアが「逆にアリ」で選んでしまったパターン。ヤブイヌは「なんでお前が?」みたいな視線にさらされている。

大洪水以前は私の部屋みたいに曖昧模糊とした動物が闊歩していたに違いない。聖書にそんなこと書いてないけど。

 

 
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「富士山へのぼれるだろう 5点」

 

この点取占いはイラストを描いた人が今までと違う気がする。しりあがり寿っぽい。

富士山にのぼれるだろう、と言いつつ登山してる人の顔が困っていたり、点数が5点だったりするバランス感覚がいいですね。

作者が「すごいけどさあ、富士登山なんか疲れるだけだよ」という考えの持ち主なことが伝わってくる。

 

引っ越し作業、未だ5合目です。

点取日記 10 遺失物取扱所

もうすぐ引っ越しなので部屋の物を片付けていた。

持っていくものを選り分けるついでに要らない物をガンガン捨てている。10年ほど前から漬けたままになっている枇杷仁酒も捨てた。思いつきだけで漬けてうすぼけた味になった梨酒も捨てた。たくさんもらった柚子の始末に困って漬けたユズンチェッロ(リモンチェッロの柚子バージョン)も捨てた。

 

そう、私はやたらと果実酒を漬けている。なぜ今になって捨てる羽目になったかと言うとアルコールに弱くてほとんど飲めないからだ。あなたはこれから一生飲酒できませんよと言われても特段困らない。

なら果実酒なんか作るなよと糾弾されそうだ。実際その通りだが、そう言われたら私の答えは「だって果実酒作るの楽しいねんもん」である。

 

果実酒作りは楽しい。果実酒だけでなく干し肉もジャムの瓶詰めもアンチョビも、長期保存食を作るのはとても楽しい。できたものを消費しきるまで生きている保証もないくせに、作ると心がどっしりと安定するのだ。そういう人は多いのではないかと思う。

 

それにしてもどうして作る前に自分が酒に弱いことを思い出せなかったのだろう。厳密にいうと思い出せなかったのではなくて、保存食作り欲がむくむくと湧いてくると「夕食後にコップに半杯ずつ飲めばすぐなくなるよ」「この果実酒は昔喉の薬だったそうだ」「飲まなくても料理の風味付けに使えばいい」などのささやきが下戸という事実を押し流してしまうのだ。

 

さすがにここ数年はそういうことも少なくなり、古株の果実酒の瓶ばかりがじっと飲まれるのも待っている状態が続いていた。(と言いつつ、調べ直したらユズンチェッロはつい3年前のものだった。アホなのだろうか?)

引っ越し先に持っていくのは友達と一緒に漬けた梅酒だけにするつもりだ。

 

果実酒の話ばかりしてしまったけれど片付け作業は一事が万事この調子で、「こうなりたかった自分」がザクザクと発掘されて神経にこたえる。しかもたいてい「こうなりたかった」ことすら忘れているから懐かしいというより、ただ戸惑うばかりだ。

使いこなせない万年筆やきれいすぎて使っていない文鎮、勢いで買ったブローチ、全部処分してしまおうかと思ったが、でもいっそこういう物ばかり連れて行くのがいいのかもしれない。生活感なんて後からいくらでもついてくるのだし。

 

ちなみに机の引き出しの奥からは高校生の頃から数年間使っていたHOLGAというトイカメラが出てきて、箱には現像前のフィルムも3本入っていた。現像代がそこそこかかるため、お金が貯まったらと思ってそのままになったのだろう。

トイカメラは当時ヴィレッジヴァンガードなどの雑貨店で大量に売りさばかれていて、サブカルあるあるみたいな感じで馬鹿にされていたけれど、あのぼけた仕上がりは10代の自分の感覚と妙にマッチして、私はやっぱり好きだった。

フィルムは劣化するのであまり期待できないが、安いネットサービスを探して現像してもらおうかと思っている。あああ、どうってことないものしか撮ってないんだろうなあ。

 

 
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「なくした物が出てきた時はほんとうに嬉しい 9点」

 

点取占いはたまに天才的な引きを見せる。

なくしたのかな。ずっと忘れてたし、ずっと部屋にあったんだけど、なくしてたのかもしれない。