/* 本文の位置 */ #main { float: left; } /* サイドバーの位置 */ #box2 { float: right; }

蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

世界はダシだ

昨日は遠方で仕事だった。朝早くに出かけて午後に戻り、商店街で買い出しをして帰った。でかいビジネスリュックにド派手なエコバッグという格好でふうふう歩いていると、一本道の向こうから手をつないだ大学生くらいのカップルが来た。で、他に人影やそれらしきものがなかったので自意識過剰ではないと思うのだが、すれ違う少し手前で女の子の方がこちらを見て「あ、かわいい」とつぶやいた。男の子は少し黙ったあと「え……〇〇ちゃんのかわいいって時々わからへん」と返した。ふたりは一緒に、えへへ、と笑った。

ふたりとすれ違ったあと、しばらくしてから私は思った。おい、私は今「互いの感性にズレがあるものの、そのズレをこそ好ましく愛しく思い合っている若い恋人たち」のダシにされなかったか? と。おい、それ動物園でやるやつだろ。マレーグマやアルマジロですらなく、ヤブイヌとかケープハイラックスでやるやつだろ、その会話は。

 

f:id:hachimoto8:20220304164310j:plain

ケープハイラックスの参考画像①

 

f:id:hachimoto8:20220304164329j:plain

ケープハイラックスの参考画像②

 

一応言っておくと「あ、かわいい」「ほんとだ、かわいい」というやり取りならばまず自分のことだとは思わない。死角に猫がいたのだと考える。判断が分かれる、ここが重要で、その時付近に判断が分かれそうな物体は、はばかりながら申せば私だけだったのである。マスクはしていたから、目つきと姿勢と挙動がちょっぴり変な人間であることが一瞬にしてバレたのだろう。くそう、ダシにされた方はなあ、結構分かるんだぞ。何せこっちは三十年以上もケープハイラックスをやっているんだからな。

などと書いてはみたが、実際のところそこまで気にしてはいない。ちょっと怒ってみたら日記が面白くなるかと思って怒ってみただけのことである。滑稽みが制御できない人生を送っていると、空想に浸るあまりに目がバキバキに据わって不気味がられたり、大して話してもいない相手から馬鹿にされたり、謎に好かれたりという経験はよくある。むしろ若い恋人たちには世界中のあらゆるものをダシにしてどんどん仲を深めていってほしいと思っている。

 

食事の時間に少しずつ観ていた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観終わった。シャロン・テート事件が下敷きになっていることは知識としては知っていたが、こわい事件があったんだっピねえくらいの理解度で観始めたため、クライマックスまでの場面場面が長く、展開がゆるく感じた。ムービーウォッチメンでは「我々は最後に何が起きるのかすでに知っているので、その一点で緊張感が保たれる」と評されていた(うろ覚え)と記憶しているが、そこを差し引いてもちょっとゆるい。それは、この作品が映画の外の時間を描いた映画だからだと思う。映画はすべての場面に意味があり(あった方が良く)、一方現実は場面場面が長く展開がゆるい。前夜に飲みすぎてセリフを飛ばしまくってしまう場面のグダグダ感がいい例で、映画の撮影現場だってやっぱり現実のグダグダした時間に属している。それでもいい場面が続くので観ていて楽しかった。前述の場面のあと、トレーラーで自己嫌悪の嵐に苛まれて「俺はなんであんなに飲んだんだ! 練習したのに……アル中野郎! もう飲まない!」と大暴れしながらいつもの癖でスキットルをグビッとやってしまい、そのことに気づいてワ、ワァ〜〜〜ッ!!(泣)とちいかわになっちゃう場面がお気に入りだ。

 

昨夜は谷脇クリタさんとバゴプラの井上彼方さんが『かぐやSFアンソロジー(仮)』のタイトル決め会議をツイキャスでやっていたのだが、夕飯後に睡魔に襲われて意識を失い、目が覚めたらもう終盤だった。まとめに入っているのに新たなタイトル案を投下して場を混乱させた。かっこいいタイトルに決まるといいですね。

バゴプラでは現在、新しいSF書籍レーベルを立ち上げるクラウドファンディングを実施しています。

camp-fire.jp