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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

鹿の木

今、夜中の一時七分。明日の朝までに片付けるべき仕事をさぼって日記を書いている。寒い夜中に起きていなければならないのは辛い。ほんの少しでいいから楽しみが必要だ、あと気を入れて作文をする前のストレッチにもなるし。という理屈でそうしているわけだが、こういうことをしているから後でますます追い詰められるんだよな。知ってる。

 

今日山へ散歩に行ったのもそうだった。寒波が襲来して非常に寒く、日課の散歩ができないまま午後になったところへ同居人から誘われ、仕事を放り出して雪がちらつく中出かけた。昨日罠にかかって腹抜きまで済ませた猪を山から降ろすのだという。役に立てることはなさそうだ。ただついていくだけ。毛糸の帽子の上からウインドブレーカーのフードをかぶり、実家から取ってきたばかりの鋲付きの長靴を履いた。

山を上る間に粒子の細かい雪が勢い良く降り始めた。猟場に着く頃には地面や植物にうっすらと積もっていた。シダの表面に目を凝らすと、ときどき六角形の結晶が見える、ような気がする。猪は若いオスだった。やや小さめだが、それでもバックパックに収めるのには苦労した。いろいろな事情を検討した結果、同居人は山で解体せずに猪をかついで降りることにしたのだった。内臓を抜いても三十キロはあろうか。はちきれそうなバックパックを背負い、ベルトを両肩に食い込ませながら黙々と一歩ずつ山を下るのを後ろから見ていて、すごいなと思った。帰り道は落ち葉が白い雪に隠されて、行きとは景色が変わっていた。長靴は何年も放置していたせいで穴が開いていたらしく、小川に足を突っ込むと靴下のつま先に水がしみこんできて、八甲田山だったら死因になるやつだった。

同居人は表情が苦しそうだ。猪が重いことよりも、重心が偏っているために不自然な姿勢を強いられることが辛いという。ふざけ半分に「気が紛れるようにおもしろい話をしてやろうか」と言ったら、してくれ、と言うのであわてて話を考えた。

オオサンショウウオが河で遊んでいると、向こうから何かが流れてきた。それは白と茶色の棒みたいなもので、枝に似ているけれどふつうの枝と何か違っている。妙に硬くて軽かった。オオサンショウウオはしばらく振り回して遊んだが、じきに飽きてしまって、河原の土に突き刺すと、枝のことはすっかり忘れてしまった。春になると枝はぐんぐん大きくなり始めた。オオサンショウウオと河の動物たちはそれを見つけて、あれこれと木を世話してやった。夏になると花をつけた。けれどもその花は変わっていて、黒くて丸くてゴムみたいで、しっとりと湿っていた。秋になると花はしおれて、そのあとに小さな実ができた。実は日に日に大きくなった。するとどうだろう、その実は一頭の鹿の姿をしているではないか。大きくなった鹿の実は、ときどきふーふーと息をしたり、もぞもぞと身体をよじったりするようになった。ある日オオサンショウウオが脇腹をくすぐってやると、鹿は笑い声をあげた。その拍子に頭にくっついていた枝がぱちんと外れ、そのまま地面にどうと落ちた。鹿はすぐに立ち上がり、上流の向こうにある山へ走って帰っていった。あの枝は、鹿のなる木だったんだなあ。山に暮らす鹿のいくらかは、鹿の木から生まれたものなんだ」

「おもしろい」と同居人が言ったのでほっとした。

 

さて、二時ちょうどになった。仕事をして眠ろう。