梁塵秘抄
『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 梁塵秘抄』(角川ソフィア文庫)を読んだ。背表紙に「後白河院 植木朝子 編」って書いてあって可笑しい。そう、『梁塵秘抄』は平家物語にも登場する後白河院が編纂したものなのだ。全二十巻あるそうだが多くは散逸して、本編は一巻の一部と二巻しか残っていない。この本には今様を中心とする当時の流行歌謡四十八首の解説と(引用だけならもっと多い)、口伝集十巻からの抜粋、コラムが収められている。門外漢にもわかりやすくおもしろかった。気に入った歌をいくつか抜き書きしておく。
仏は常にいませども 現ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ
仏歌なのだけれども、無意識との邂逅を歌ったように思われて興味深かった。昔の人って夢の話ばかりしているよね。
仏も昔は人なりき われらも終には仏なり 三身仏性具せる身と 知らざりけるこそあはれなれ
こちらは、平家物語で清盛の寵愛を失った白拍子・妓王が「仏も昔は凡夫なり われらも終には仏なり いづれも仏性具せる身を へだつるのみこそ悲しけれ」と歌った歌の元ネタ。こうして比べてみると「へだつる」が清盛をめっちゃロックオンしていることがわかる。
われを頼めて来ぬ男 角三つ生ひたる鬼になれ さて人に疎まれよ 霜 雪 霰 降る水田の鳥となれ さて足冷たかれ 池の浮草となりねかし と揺りかう揺り揺られ歩け
それっぽい素振りを見せながら訪ねて来ない男に「角三本生えた鬼になれっ、ほんで嫌われろ。霜と雪と霰が降る田んぼの鳥になったらええねん。足が冷た~~~くなってまえ。浮草になってプカプカプカプカ流されろ」というめちゃめちゃ悪口の歌。
わが子は二十になりぬらん 博打してこそ歩くなれ 国々の博党に さすがに子なれば憎かなし 負かいたまふな 王子の住吉西宮
こっちは子がやくざな博打うちになってしまって諸国を渡り歩いているようだけれど、つい負けませんようにと祈ってしまう親心の歌。
コラムや口伝集の解説もおもしろかった。コラムの一つでは藤原俊成女健御前の『たまきはる』に記された今様合(公卿がやるフリースタイルダンジョンみたいなやつ)のくだりが解説されている。「この方がこの歌を即興でこうアレンジして、それを聞いたあの方が当意即妙にこう切り返しておもしろかった」みたいなことが書かれているのだけど、言ってしまうとめちゃくちゃ些細なやり取りで、なんだかバイト先のバックヤードで高校生に楽しかったカラオケの話されてるみたいな感じがしてしまう。
口伝集で印象に残ったのは、後白河院と今様の師匠・乙前のエピソード。後白河院は十歳頃から今様がとにかく好きで、長じてからも師匠となる人を探し求めていた。とうとう見つけた師が傀儡・乙前、当時すでに七十歳。高齢すぎるからと断られてもめげずに申し込み、弟子となり、以後乙前が八十四歳で没するまで師弟関係が続いた。後白河院は乙前が重態だと聞くと訪ねていって法華経を読んでやり、薬師如来を称える今様を歌って励ます。とうとう乙前が亡くなってしまうと「(長生きしたので)惜しむような年齢ではないが」と言いつつ深く悲しみ、経を読んで弔った。さらには一周忌にも経を読み、たくさんの今様を歌って乙前を偲ぶ。翌朝、後白河院が歌っていたことなど知らないはずの女房がやってきて、「夢を見ました。後白河院が歌っておられるのを乙前さまが聴きにやってきて、あれこれと褒めておられましたよ」と話すのを聞き、たいそう喜んだらしい。という調子で、さっきの今様合の話と合わせても、ものすごーーく普通に感じるというか、ここだけ読むと人間って拍子抜けするくらい変わらないなあと思う。現代の日記を読んでるとの読み味があんまり変わらない。おもしろかった。次はどの古典を読もうかな。