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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

ぬすみぐいの楽しみ

なんだか最近身の回りで日記が流行っている。何人かは流行りに関係なくずっと前から日記を続けていて、私は暴力と破滅の運び手さんに影響されて始めたのだが、それからも周囲の人々が日記を開設したり、久々にブログを更新したり、している。

Twitterサイズではないまとまった文章を読むのっていいな、という当たり前のことを再確認する。いつもありがとうございます。

 

とは言ったものの困った。今日は日記に書くようなことが別段起きなかった。事実に即して書くと私は今日、いやだいやだと思いながら仕事をやって、いやさの地平線が見えたらベッドで横になって脱出ゲームの謎を解くことをひたすら繰り返していた。天気が悪かったので家から一歩も出ていないし、ピクミンの歩くやつも進んでいない。読書もさほどしていない。日記に書くようなことがない。

 

困った。ええと、ええと。

 

ぬすみぐいの話をします。

うちの共用部分には漠然とルールが発生しているスペースがあって、それは「この場所に置かれた物は自由に持っていってもいいですよ」というものだ。紙パックのジュースや、地方土産っぽいお菓子などが時々そこに置かれる。お酒の缶が置いてあったこともあるし、引っ越した人がちょっとした棚や椅子を置いていくこともある。正直どうしたらお菓子とかジュースが人に配るほど余るのかまったくわからないのだが、そうなっている。私はこのスペースにうっかりほぼ新品のコンビニ傘をぶらさげてしまったことがあり、見事に持っていかれた。もちろん今も返ってきていない。返してほしい。

さて数日前、そのスペースに新手が現れた。一抱えもある大きな白いビニール袋、表には和菓子屋らしき屋号のプリント。の、中に、透明のこれまた大きなビニール袋が二つ。口は金色の針金テープで縛ってある。その中に、種々雑多な小麦のせんべいやクリームを挟んだやつや葉巻みたいにせんべいをくるっと丸めたやつ、茶色いのやピンクのや白いの、が無造作に放り込んである。個包装もなくむき出しで。はっきり言ってちょっと異様な光景で、高級そうで上質そうな、箱に入って贈答用として売られていそうなお菓子が、ショッピングモールの量り売り輸入菓子みたいにごしゃごしゃになっているのだった。もしかしたら製造過程で割れたり焼きムラができたりして弾かれたものが一山いくらで売られているのかもしれない。それがこのスペースに置かれるに至った経緯は想像がつかないが。

あらおいしそう、いただきたいわねえ、と思ったのだがこれがけっこう難しい。なぜかというと大きな袋ごともらっていくのはさすがに気が引けるし、小分けにいただこうとするとタッパーなりジップロックなりを持って赴くことになるが、そこまで覚えていられない。自然、通りかかるたびに「あ、そやった」と思うことになり、他の人も同じらしく、あまり減りはよろしくなかった。ずいぶん涼しくなってきたとは言え口を雑に結ばれたビニール袋はいかにも貧弱で、すぐに湿気ってしまいそう。このままでは良くない。

私がどのようにこれを解決したか。そう、通りかかったタイミングで周囲に人がいないことを確認し立ったまま食べる、ぬすみぐいスタイルである。この方法にはいくつかのデメリットがあり、まず立ったまま袋を漁って菓子をかじる姿を目撃された場合その人にさもしい印象を与えるおそれがある。またそういった状況を恐れる心理が働くため気が散ってしまい、お菓子の味がよくわからない。しかしお菓子の独占を避けながら適切な速度で消費することができる。

そして何より、この食べ方は楽しいのだ。これは思いがけない発見だった。楽しいと言っても心が踊るような楽しさではなくて、じわっとこみ上げてくるような楽しさだ。考えてみるとこの食物への接し方は、旅をする人が道のかたわらに生えた柿の実をもいで食べるような場面によく似ている。実際、食べていると人家に住むネズミになったような気分になる。つまりより自然に近く動物的ということだ。と言っても野生の動物が生きている環境に比べるとお膳立てがなされすぎていてキッザニアみたいだけど。そう考えると金銭を払って自己の所有物と確定した物を食べる日々の営みは、いかにも人間社会の産物という感じがしてくる。そっちはそっちで喜びや達成感があるけれど、たまにはこうしてぬすみぐい的な食を味わいたいものだと、抹茶クリームを挟んだせんべいをかじりながら思った。