切れないラジオ
昨日はお脳の調子が悪く、頭の中でネガティブな声がずーっとしていて(小説書く時人物をしゃべらせる筋肉が暴走する感じ)、まあここ十年調子悪いとそういう感じだし物心ついた時からそうだった気もするが、久々にまいっちゃった。もともと少し強迫的なところがあり、そっちの方面では嫌な雑念が湧きまくってやるべきことができない状態を侵入思考という用語で呼ぶそうだけど、検索してみても自分のようなのはあんまり見つからない。
普段はしょうもない空想やつまらんギャグ、自分のひとり語りなどが鳴りっぱなしになっていて切れないラジオっぽいのに対して、昨日はパワハラ上司に耳元でずっと詰られている感じ、しかもそれが四六時中続くので本当につらかった。頭の中からは逃げられない。ネットによるとそういう時にとるべき対処法は基本的に無視の一手であり、「湧き上がる思考は湧き上がらせておいて、しかし影響は受けないようにする」「外界の刺激や身体感覚に注意を向けることで、意識全体に対して思考の占める割合を小さくする」というのがコツらしい。
「勝手についてくる犬みたいなものです。犬は下手に刺激すると噛むかもしれないし、逃げたら追っかけてくるでしょう。だから接触はせずについてくるに任せるがよろしい」というようなことを書いていたサイトがあり、なるほどなと思った。それで長めの散歩をしてみたのだけど、たしかに調子が悪い時の自分はあまり外界に注意を払っていない。障害物に当たらないように自動操縦モードに入っており、意識は頭の中の声に向いている。下手すると頭の中で自分が「雑念から逃げるためにはもっと周囲を観察するべきなんですよ、マインドフルネスというんですか……」などとしゃべっていて、いやいや今まさに頭の中でしゃべっとるやないかい!!となり、自分が語り手で聞き手でツッコミまでやっているのだからくたくたになってしまう。
思考を想像の中で黒い犬やしゃぼん玉の形に変えてぶつからないように歩く練習をしてみると、それなりにうまくいくのだが、なんというかスタンドや念能力を使ってるみたいで疲れる。
で、翌日、今日はあんまりそういうことがなかった。なぜかというとめちゃくちゃ忙しかったからで、朝から遠方に出かけて強い日差しの下で長丁場の仕事をこなし、隙間の時間で別の仕事をやり、帰ってから犬と街灯とラジオで朗読する短い話を書いた。そしたら、最近不調だったのに楽しくあっさり書けた。頭の中の声に注意を向けるほどの暇がなかったからというわけで、これに気づくのは何度目か忘れたけど、私は忙しく動き続けている方が調子がいいらしい。悲しい。こんなに何もしないでいるのが好きなのに。体力だって人並み以下なのに。でもたしかに頭のラジオがうまく切れるのは、物語に没頭している時、文章を書くことに集中している時、物を観察している時、誰かと一緒にいる時くらいだ。だけどさあ、疲れるよ、毎日こんなだったら。ぼんやりするのは好きだけど向いてはいないようで、考えてみればぼんやり上手な人というのは川べりに座って「柳が揺れているなあ」「枝がこっちへ流れて、去っていくなあ」という状態の人であり、目をかっぴらいたまま外界の情報をシャットダウンして頭の中の声に浸っている人ではないかもしれない。
舗装路にカマキリがいたので捕まえて草むらに逃した。
そのあとお昼ごはんに志津屋のカルネを食べたのだが、水道がないのでウェットティッシュで手をよく拭いて、さあ食べようと袋を開けたら勢いあまってカルネがまるごと地面の草の上に落下してウェットティッシュとかどうでもいい感じになった。
カルネおいしかったです。