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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

向こうが透けて見える

仕事で奈良へ。雨が降っていて鹿の姿は見えなかった。どっかで雨宿りしているんだろうか。

 

おやつにトッポのビターを食べた。トッポは1年に2回くらい食べるんだけど、大体ビターを選ぶ。それで思い出したが、ビター味って登場した当初は「フォー・メン」とかいういけ好かない惹句がついていた。たぶん私が19歳か20歳くらいの頃だ。向こうが透けて見えるほど薄ーい疎外感をおぼえ、「けっ、何がフォー・メンやねん、こちとら子どもの頃からビター好きやっちゅうねん」とこぼしながら買っていた。当時トッポが高校生、特に女子に大人気だった(というイメージがあった)からこそのネーミングなのだろうけど、こういう些細な嫌さが減ってきたのはいいことだと思う。今は「大人の味わいビター」というコピーになっている。いつ変わったのか。知らずに買っていただけで相当前のはず。で、今は何の感情も起こさずにビター味を買えるようになった。おいしく食べ終わったあとで、12歳くらいの私が「大人の味わいビター」を見たら「けっ、何が大人の味やねん、こちとら子どもの頃からビター好きやっちゅうねん」と感じたのでは、と思い直した。しかし子どもは生きてれば嫌でも大人ということにならざるを得ないが、性に関してそうはいかないので、やっぱり嫌さの質がちょっと違いますよね。

 

相変わらず小説を書くモードに入れないけれど、作業中に香川照之が朗読する太宰治「駈込み訴え」を聴いた。すごいね。「駈込み訴え」、自分でも何度か個人的楽しみとして朗読したことがあるのだけど、タイトルに引っ張られて、まさに駆け込み、訴えるような口調で読んでしまう。「申し上げます!(はあはあ、)申し上げます!」という感じで、走ってきたみたいな、まくしたてるような朗読になってしまう。香川照之の朗読はもっとぼそぼそしていて、苦渋を噛み締めて舐るような感じでねちっこい。雨の降る夜に扉の前でぼーっと立ち尽くしてそうな雰囲気で、怖い。唇が青そう。熱いお茶をすすめたくなる(急に激昂して刃物を出しそうだから)。でもそうか、ユダは突然プツーンと切れたわけではないだろうから、そうですよね、と納得もした。演出は西川美和

 

それから、暴力と破滅の運び手さんのブログをよく読んでいるのですが、というかここ最近私がブログを書いているのはその影響がはっきりとあるのですが、10月25日の記事でリンクされていた昔の短編を読んだ。

kakuyomu.jp

面白いのでみんなも読むといいです。大学生だった20歳ごろの作品ということで、運び手さんがこれを書いたのと同じ歳の頃私はトッポフォーメンに憤っていたのかと考えずにはいられないが……。ご本人が指摘するように創作のツボがすでに見いだせる、と同時に、2021年から2015年を引き算をして残るもの(チャ亀やゲーミングうんちマジック)を眺め直すとこの間に一体何があったのかめちゃめちゃ気になる。運び手さんの作品は土や泥や時にはうんこをかき分けかき分けて掘り進めたらキラッキラの宝石がゴロッと手の中に落ちてくるみたいな印象を受けるのですが、この作品はシャベルを入れたらいきなり宝石にぶつかったような感じです(この感想しいたけ占いっぽくて最悪だな)。読んだあとはブラウザバックしてページ下部の「同じ作者の他の小説」の欄を確認することをおすすめします。

 

 

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この寒いのにイモリ池からイモリが脱走していた。夏の間は多かったけど久しぶり。締切直前に焦るタイプだろうか。

 

 

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晩ごはんはむかご御飯、半額の刺し身、奈良で買った青唐辛子を焼いたの、キャベツと葱の味噌汁、蕪のぬか漬け。むかご御飯おいしい。