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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

点取日記 29 猪の解体

昨夜、訳あって猪の解体に参加した。狩猟をやっている海底クラブ氏(id:kaiteiclub) が年明け早々に獲ったものだ。その猪はまだ若いオスでとにかくデカかった。私よりも大きく、私の周りにいる大抵の男性よりも大きい。一部始終はそのうち海底クラブ氏がレポートしてくれるはずだ。

 

解体から調理と片付けまで、かかった時間は8時間以上。関わった人は入れ代わり立ち代わりの者も含めて十数人。猪は巨大で重かった。10人ほどでもも肉を1本食べただけで、みんな満足してしまったくらいだ。

 

前半の山場はナイフで皮を剥がす工程だった。猪は脂がうまいのだが、相当注意深くやらないと皮に脂が残ってしまうのだ。皮と脂の境目をナイフの刃先で撫で切ると、ほんの少しだけ皮が剥がれる。これを何度も何度も繰り返して、全身の皮が剥がれるまでやる。

 

参加してくれた人たちは刃物をふるいながらしょっちゅう「ああ」、「うう」と嘆息を漏らした。一番唸っていたのは私だったかもしれない。

 

しかも外でやっているから寒い。暖かい場所では肉が傷んでしまう。寒いと脂はますます固くなり、刃が通らなくなる。とにかく無心になって手を動かすしかなかった。それでも無心になりきれずに、「大量の肉を大勢で処理するのって、すごく社会って感じがするな」とか「スーパーでお肉を買えるシステムすごすぎる」とか色んな考えが浮かんでは消えていった。

 

結局時間がかかりすぎるので、皮を剥いだらすぐ食べる分だけを切り取って一旦食事にした。角煮やお鍋はあたたかく、おいしく、ありがたかった。そのあとはまた作業に戻った。大まかな部位ごとに塊肉を作るのだ。ここでまた肉体の重さを思い知らされることになった。もも肉の一本を45Lのビニール袋に入れると、その重さと弾みで袋から骨が突き出した。とにかく黙々と腱を切り、骨を外し、必要ならば折った。

 

話は変わるが、私は短歌を詠むのが好きだ。たまにネット上の歌会に投稿もしている。短歌は31音あって、ぐねぐねと考え事をしがちな自分にはそこそこ向いている定型詩だと思っている。俳句は鑑賞するだけで作らない。17音はあまりに短くて、作者の思考の骨が露出しているような気がしてしまうのだ。自分の感性が本当は凡庸で粗雑だとバレてしまうかもしれないから、それを認めるのが怖いから、私は俳句を作らない。

 

開かれた猪の胸から1本ずつ肋骨を切り出すのは終盤の難所だった。技術がいるし、根気もいる。曲線に刃をうまく沿わせないと骨に余計な肉が残ってしまうからだ。疲労は限界に達していて、こわばった指で掴むナイフが滑りそうになる。気づけば深夜の2時をまわっていて、冷たい戸外の空気がさらに凍っていくのがわかった。

 

ひと気はもうかなり少なかった。少し離れたところにある自販機から時々ゴロゴロドーン、と飲み物を買う音がするくらいだ。集中、集中、と思いながら無心に作業を続けていると、本当に突然、伸びをするみたいに自然に、俳句が口をついて出た。初めてのことだった。

 

自販機のひかりやししを解体す

 

巧拙はわからないけど、結構いいじゃんと思った。あとで検索したら猪は晩秋の季語らしかった。そうですか。

 


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「大きな会社の社長になれる 10点」

 

とっても素敵だけど、それよりも温かいココアが飲みたいわ。