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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

メレンゲの(作り方を発見したいという)気持ち


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昨日、真夜中にチョコレートケーキを焼いた。レシピ見ながら作ってて思ったんだけどこのレシピってやつはほんとにえらい。私みたいな普段お菓子を作らない、物覚えの悪い人間でもレシピ通りにやればちゃんとそれなりのものができる。レシピには気が遠くなるほど昔からの人類の知恵が詰まっている。チョコレートケーキを作る工程には「卵白を泡立ててメレンゲを作る」っていうのがあって、私は面倒くさがりなので泡立て器でブイーンとやって済ませた。覚えてないけどかかった時間は10分とか20分とかそんなもんだろう。いやこのメレンゲというのもすごくて、誰かが「卵から卵白だけとってそれをかき混ぜ続けたらふわふわのができるやんけ!」と発見したわけだ。その人に聞いてみたい。なんでそんなことしようと思ったの?暇だったの?しかも昔は泡立て器ないから手でひたすら混ぜるしかない。私が思うにメレンゲを発見した人はその時何か嫌なことなあったんじゃないかと思う。ひとつのことをやり続けると気持ちが落ち着くから。何はともあれ、メレンゲを発見した誰かのおかげで今日私たちはいろんなおいしいお菓子を食べることができる。
 
「なんでそんなことしようと思ったの?」という人類の発見はたくさんある。腐った豆を食べる。実を焙ってひいてお湯で濾して飲む。芋の粉に水と灰を混ぜて煮る。食べ物以外でも。大きな動物の背に乗る。地面を掘って水を出す。毎日星を見続けて自分たちのいる場所を知る。無数の発見が蓄積された現代に私たちは生きている。知恵がきちんと受け継がれるという前提において、人類の黎明期(がいつなのか、今なのか、わからないけど)に生まれるより、後の世に生まれる方がおそらく快適だ。
 
けれども、私はメレンゲや納豆やコーヒーやコンニャクの作り方を発見した人たちのことが少しうらやましい。私だって馬に乗ったり、井戸を掘ったり、天測航法を編み出したりしたかった。自然を利用する大体のことは先人がやり尽くしていて、今人類がやっていることはその応用の応用の応用の応用だ。こうなると技術は細分化されて、一生活者が広く世に根付くような発見をするのは相当難しい。「アリジゴクの幼虫はうんこもオシッコもしない」という話があって、これを覆した研究があるんだけど、そういう定説を覆す話にも憧れる。小学生がその説を夏休みの自由研究で確かめた、なんて聞くと本当にうらやましい。うーらーやーまーしーい。現代であっても興味を突き詰めていれば新発見が得られるかもしれないのはロマンがある。快適な生活でできた余裕でおかしなことを粛々やっていくしかない。私の発見をひとつだけお教えしましょう。唾は口の中で転がし続けると味が変わります。はーあ、だめだだめだ。