亀の性格
数日前に亀のケンが逝ってしまった。ケンがやってきたのは私が4歳か5歳の頃だったからおよそ25年生きたことになる。ケンは北米に生息するコンキンナヌマガメのメスで、今はリバークーターとかコンキンナリバークーターとか呼ばれる種類だ。25年がペットの亀の寿命として長いのだか短いのだかははっきりしない。理想的な環境だったなら30年40年はざらに生きただろう。インターネットで「コンキンナヌマガメ 寿命」と検索したら約5年から10年との回答が得られたが、そんなのはただの情報であって、私の家で25年生きたケンという亀とはあまり関係がない。ケンはかつてうちで飼っていた水亀たちの中でも冷静で実直、おっとりしていてかしこい亀だった。なんて言うと驚く人がいるかもしれない。爬虫類に性格なんてあるものかと笑うかもしれない。でもあるのだ。亀にも性格がある。表情すらあると私は信じていた。ここ数年で2匹の水亀がいなくなり、今回で水槽は空になってしまったけれど以前はひとつの水槽に3匹の水亀を入れていた。みんな性格が違っていた。キバラガメのマルは奔放、愚者、一途を司っていたし(マルはケンによく求愛していた)、フロリダアカハラガメのメイは小柄ながら他の2匹に負けていなかったことからガッツ、不屈、狡猾の性質を担当していた。エサの奪い合いや日光浴の場所取りでの振る舞いがそのまま性格を表すわけだ。彼らが家にいた20年以上の間、そういう彼らのキャラクターを私は信じていた。でも今、水槽が空になり、よくわからなくなってきている。私は本当に亀たちの性格を正しく把握できていたんだろうか。動物の民話では、キツネはずる賢く狼は粗暴でウサギは義理堅い。そういう擬人化の中で亀たちを扱ってきたのではないだろうか。ひょっとしたら子供の時に育てた空想を矯正するタイミングを逃していただけなのでは。話は変わるが最近ツイッターで「飼い猫は人に『愛の絆』を感じていない」という記事の画像を見た。「猫と違って人は群れで暮らし、『愛の絆』を感じることで共同生活を潤滑にまわす性質をもつ。人が猫を思うようには猫は人を思っていない(が、それでいい)」という内容だった。人間には、というか私には物にでも人以外の生物にでも人格を付与して一人芝居をするような性質がたしかにある。ケンは25年間私の一人芝居に付き合っていてくれたのだろうか。そうだとしたらお疲れさまと言いたい。ありがとうごめんと言いたい。またやってしまった。ケンという亀に人格を与えてしまった。それも死んでしまった亀に。そういうとこだよな。なー。だけどそれを言ったら愛の絆だってよくわからない。人同士で話してたって「この人の愛と私の愛はとれた畑が違うな」みたいなことざらにあるもんな。畑でとれる愛ってなんだよ!!誰か教えて!!畑の肉は大豆。