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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

点取日記 36 おれたちゃ都会のスカベンジャー

最近週に一度図書館に通っている。自転車に乗って涼しい図書館に行き、節操なく本を選ぶのは大きな楽しみであるけれども、この習慣にはもうひとつ中くらいの楽しみがくっついている。少し遠回りして近くの輸入食品店をのぞくことだ。

 

そのお店はそこそこ大きな通りに面しているのに、他のお客さんが入っているのを見たことがない。インドっぽいスパイス詰め合わせやら中国っぽい真っ赤な瓶詰めやらいろいろあって品揃えも悪くないし、外国のワインやビールがいつでもクーラーの中で冷えているのだが、こんなにお客さんが少なくてどう経営を続けているのか謎である。

 

時々訪れる私にしてもいい客とは口が裂けても言えず、私が唯一気にかけているのは、店の入り口から見えている床の上にあのカゴがあるのか、ないのか、それだけだ。その日のぞいてみると、あったあった、素っ気ないプラスチックのカゴが少し薄暗い店内に置かれていた。

 

中に入ってカゴをあらためる前に一応店の奥に向かって会釈する。こんなにひと気がないのにいつでもレジの横に店員さんがひとり座っているのは驚くべきことだ。カゴには“close-to-date”という貼り紙がくっついている。賞味期限の迫った食品が時々ここに集められ、割引価格で投げ売りされているのだ。そして私はそのカゴをチェックするのを楽しみにしている。

 

とくに見つけると嬉しいのがHARIBOのグミ。HARIBOはもともと大好きだけれど、この春のドイツ旅行で現地価格を目撃してしまい、帰国したらずいぶん高いと感じるようになってしまった。たとえ賞味期限が近くても安く買えるなら願ってもないことだ。その日のカゴにはゴールドベアグミのミニパックがたくさん詰まった大袋が出ていて、一度は手に取ったが、思ったほど安くなっておらず、迷った挙げ句カゴに戻した。もう少し日数が経つとさらに安くなるのを私は知っている。

 

がっかりした気分で店を出る。自転車を漕ぎ出しながら今の私あれに似てたな、と思った。西部劇なんかに出てくる、あのでかい鳥。運悪くインディアンの襲撃にあった主人公一行は命からがらテキサスの荒野を敗走する。地図も食糧もなく頼れるのは仲間と馬ばかり。殴りつけるような太陽の光に疲弊し、力を振り絞って大岩の陰に逃れるが、とうとう主人公たちは地面に倒れ伏してしまう。照らされる大地を不気味な黒い影が横切り、それはやがて三つ、四つと増えていく。痩せこけた頬を汗と土で汚した主人公が空をにらんでつぶやく。「あいつら、おれたちが死ぬのを待っていやがるんだ……」

 

ハゲワシをはじめとして、カラスやシデムシなど腐肉や屍肉を食らう肉食動物たちはスカベンジャーと呼ばれている。彼らはほとんど狩りをしない代わりに動物の死骸を見つけるのがとても上手で、死骸に群がって内臓を引きずりだし目玉をほじくり、腐臭を放つ肉を食う。そんなものを食べてお腹を壊さないのかと思うけれど、ちゃんと新鮮な死骸を見つける術を持っていたり、有害なバクテリアから身を護る生体機能が備わっていたりするそうだ。時には狩りをした動物から獲物を奪うこともある。光景としてはおぞましいけれど、スカベンジャーがいなければ死骸が世界中にあふれてしまう。食物連鎖にとっても大切な存在なのだ(以上の話は、『夏休み子ども科学電話相談』で鳥の川上和人先生が話していた内容の受け売り)。

 

以上を踏まえると、なんだかみみっちい“close-to-date”チェックもそれなりの正当性を帯びてくる気がするから不思議である。私はこの店に限らず、スーパーで見切り品を見るのが好きだ。我ながら貧乏くさい、つましすぎると自覚しつつやっぱり見てしまう。しかしスカベンジャーの理論でいけば、店が通常価格では売れないと判断し、そのままでは廃棄ロスになってしまうかもしれない食品を瀬戸際で経済のサイクルに押し戻しているわけで、なかなか立派な働きをしているといえるのではないだろうか。

 

それにこの趣味はこれで意外とゲーム性が高いのだ。見切り品が出始める時間を読み解く調査力。見切り品の山からこれぞという掘り出しものを見つけるサーチ能力。本当に救いようがないほど傷んでいる場合もあるため、迅速で的確な判断は欠かせない。お得感を出しつつ実は大して値引きをしない悪徳店舗との攻防もある。

 

言うまでもなく最大の敵は同じ趣味を持つ同志だろう。先月は例の輸入食品店でHARIBOがずいぶん値下がりしていたのに思いきれず、数日おいてやっぱり買おうと店を訪れたら、もう売れていてかなり悔しい思いをした。とくに大型スーパーでは見切り品のラックまわりに常時複数の客が群がっていることも珍しくなく、一秒一刻が命取りになりかねない。48円の小松菜を手に取り、真剣に葉のしなび具合を見定めてまた戻すその目つきは、こう言って差し支えなければ目利きのそれである。おれが、おれたちが都会のスカベンジャーだ。

 

HARIBOは不完全燃焼に終わったけれど、今日の夕方スーパーに行ったら和歌山県産の桃が二個300円になっていて、迷わず買った。桃は大好物なのだ。産毛のたった肌に小指の先ほどのうす黒い染みが浮いているだけであとは何ともない。柔らかく傷みやすいフルーツは見切り品の花形だ。今の季節は桃が狙い目だし、八月半ばにもなればきっと無花果が出回るだろうと考えると今から待ち遠しい。

 

家に帰って桃を冷蔵庫にしまう時、ふわっと桃のいい香りがして、冷蔵庫を抱きしめたいくらい嬉しくなった。それから思った。テキサスの荒野で人間が死ぬのを今か今かと待って滑空しているハゲワシって、すごく、ものすごく楽しいだろうな。

 


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「少しぐらいのことでびっくりするな 5点」
びっくりしたあ。
私、少しのことでびっくりするために生きてるようなもんなんだぞ。