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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

点取日記 33 ぺらぺらさん

芸大の卒業制作展に行った。大学図書館を利用するために訪れる機会は時々あったが、作品でいっぱいになった学内はいつもと違って見えた。制作物はひとつひとつ手が凝んでいて、制作に至った経緯を読めばへーっと思うし、作品をぼーっと眺めるのは楽しい。材料や制作工程を想像するのも面白い。

 

こう言ってはなんだが芸大生ってずいぶん外向的だなあ。と思った。もっと理解不能で、個人の内面が裏返ったみたいな作品で埋め尽くされているイメージがあった。そういうのも見かけたけれど、環境デザインやプロダクトデザインの規模が思ったより大きくて、そこでは社会や人や自然とのつながりを扱う。だからなのか課題設定は驚くほど言語的に整頓されていて、それに答えようとする作品も真摯に作られている印象があった。

 

もちろんその陰にそういう作品を作らない学生もたくさんいることは想像できる。というか実は私はかつてこの大学の職員採用に応募したことがあって(落とされた)、その時職員の人が「中退者予備軍をどうサポートして復帰させるかが重要な課題」みたいなことを言っていたので、卒業制作にたどり着かない学生はたぶん今もそれなりの数いるだろう。

 

正面玄関を入ってすぐのホールは、環境デザイン学科のコーナーだった。建築物や街そのものを本当に作るわけにはいかないから、作品はすべて大きな模型だ。「限界集落を再生させたビジネス拠点」とか「コミュニケーションを促す新しい団地」とか「京都の景観に調和する巨大建築物」とかが、ジオラマで再現されている。どれも階段や並木が細かく作られていて、生来不器用な私はこれを考案して完成させるまでの無数の工程を想像しただけで空を仰ぎたくなる。

くらくらと遠近感を狂わせながら模型に見入っていると、だんだんあるものが気になってきた。それはどの模型にも配置されている小さな人間たちだ。

 

「ぺらぺらさん」とでも呼べばいいだろうか。たいてい紙でできていて、色は黒で統一されていたりカラフルな色紙だったり、無地だったり模様があったり、厚みにも多少の幅はあるが皆影のようにぺらぺらで目鼻がない。透明で色がついたアクリル製の場合もある。形についても多種多様で、直線で構成された記号のようなものから、性別や年齢の区別がある程度つくもの、ひとりひとり髪型やポーズまで違うものまである。

一度気になり始めるともうだめで、模型そのものよりそちらに目がいってしまう。虫のように小さな人の形をたくさん切り出すのは、たいへんな労力だろう。しかも制作した建築物の模型の中で彼らがどのように過ごすか、役を与えなくてはいけない。

 

買い物をひとり楽しむぺらぺらさん。ベンチでくつろぐぺらぺらさん。恋人同士のぺらぺらさん。屋台に並ぶぺらぺらさん。ステージに立つぺらぺらさんたちの軽快なステップ。友達と肩を組むぺらぺらさん。美しい畑で汗をぬぐうぺらぺらさん。ビジネスマンのぺらぺらさん。両親と手をつなぐ小さなぺらぺらさん。犬を散歩させるぺらぺらさんと、飼い主にくっついて歩くぺらぺらの犬。

 

みんなみんな楽しそうだ。この作り物の街に不幸せな人などひとりもいない。不幸せな動物も。これはみんなを幸せにするための建築物の模型なのだから、当然だ。

 

たくさん作品を見てくたびれたので、帰りにパン屋ででっかいシナモンロールをふたつ買った。紅茶を入れて同居人と食べた。うまかった。

 


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「チョイゝ変な声を出すね 1点」

久々の最低点。そして古すぎる踊り字。

私は本当にけっこうチョイチョイ変な声を出す方で、何でもない時に突然嫌な記憶や嫌な想像がパッと鮮明に現れてそれをかき消すために「ううううう」とか「やだやだやだ」とか、ひどい時は「しねっ」とか「ころせころせ」とか口走ってしまう。人前で緊張してる時は大丈夫なんだけど、「こないだずっと独り言言ってる人とすれ違ってさあ…」という笑い話は社会人だとよく遭遇するので、その度にうっすら傷つく。

独り言が激しいぺらぺらさんもいるといいな。