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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

物に話しかけられる恐怖について


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待ってほしい。幻聴の話じゃないから心配しないでほしい。たしかに私は幼少期に想像力が強すぎて少々集団生活が困難だったけれど今日はその話ではない。
こんなことがないだろうか。あなたは昼飯を食べ損ねた午後4時、ラーメン屋のカウンターでひとりラーメンをすする。お腹が減っているのでレンゲを使ってスープまで丁寧に平らげる。若干塩分の摂り過ぎかもしれないが気にしない。減塩は明日からだ。と、かさが減って露出したラーメン鉢の底に、何か書いてあるのをあなたは見て取る。
 
「またのお越しをお待ちしています」
 
あるいは、こんなことがないだろうか。不摂生という名の焼け石に水をかけるべくあなたはコンビニで紙パックの野菜ジュースを購入する。飲みやすくておいしくて、これではどうも体にいいことをした気になれない。ジュースはあっという間になくなり、あなたは心の中で駅前のスポーツジムの無料体験に申し込むことをそっと決意する。ズルズル鳴るまでジュースを飲んでから紙パックの上の耳を開いて、下の耳を開いて、両手に力を入れる。すると底面からこんな文句が現れる。
 
「たたんでくれてありがとう」
 
私はこの手の話しかけてくる商品が苦手だ。なんと言ったらいいのか、なんの気なしに木の皮をめくったら休眠中のカメムシがビッシリ、みたいな気持ち悪さがある。至近距離に息づいているものが実はいたという感覚。特定の行動をとらないと気付けないのも暗号のようで不気味だ。そして何より、物が話しかけてくる時、私は応えることができない。一方的に話しかけられて終了。こんなところにコミュニケーションはない。理屈としてはもちろんわかる。ラーメン屋の主人が、飲料品メーカーの人が、「またのお越しをお待ちしています」「たたんでくれてありがとう」と言っているのだ。けれどこの気持ち悪さはどこにも持っていきようがない。
 
仕事でくたくたになり、甘いものが欲しくなってチェルシーの飴を買った。オフィスで開けてひとつ取り出したら、
 
「リラックスしてね」
 
そう書かれていた。
 
疲れていたせいもあって体の力が抜ける心地がした。
お前もかチェルシー。お前もなのか。小学生の頃は少し大人っぽい、特別な飴として流通していたチェルシー。お前までなれなれしく私に話しかけてくるのか。外袋を見ると、この飴を配って周りの人を和ませろという旨が書いてあった。私が?物に印刷された言葉を?自分の言葉として他人に配る?
 
それで、私が、どうしたのかというと、手近な人に配りまくった。普段なら絶対しなかったと思う、でも疲れてヤケクソだったし、袋いっぱいの言葉の死骸を抱えていられなかった。周りのデスクに放り投げるように配った。誰にどの言葉をあげるか選びもしなかった。
何人かに配ったら不思議と清々しい気持ちになった。「いつもありがとう」は同期へ、「これからもよろしく」は斜向かいの先輩へ、「ENJOY THE DAY」は隣の先輩へ、「笑顔がステキ」は通りすがりのデザイナーさんへ。誰ひとり飴に書かれた言葉を真に受けていなかったけど、飴に一方的に話しかけられたのとも違う、脱力したリアクションだった。言葉は私のものではなかったが、同時に私から発せられていた。
物に話しかけられる気持ち悪さはそこにもうなかった。私が物だった。励ましの言葉を吐き出すガチャガチャだった。
 
 
 
 
よんでくれてありがとう