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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

蜂インザヘッド


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このブログずっと放置してて、というのもちゃんと面白くて人が読むに耐える記事を書こう書こうとするんだけど私という人間は面白くもなければなけなしの面白さをかき集めてひとつの記事に仕上げる堪え性もなかった。だから実験としてブログをもっとでたらめに使ってみようと思う。別に誰も読みたくないようなどうでもいい文章を書く。手始めに今日はなぜ私が蜂本というのかその訳を教えてやろう。a bee in your bonnetという慣用句があります。この言葉はたしか小学生の頃祖父母の家にあった英語の慣用句辞典とかそういうので読んだ。私は本が大好きな子供だったので興味のあるなしに関わらずそこに本があれば読んだ。a bee in your bonnetにはこんな意味がある。「偏執的な、奇妙な考えにとりつかれている」直訳すると「婦人用帽子の中にいる蜂」となる。私はそれを読んでふーんなるほど帽子の中に蜂がいたら気になってしょうがないもんな。要はちょっと頭のおかしな人のことか。と思った。それきりこの慣用句のことは忘れていた。さて私は二十歳になり特に何の不自由もないがすべてがつらい冬を迎えた。今思うと完全に冬季鬱というものだったがとにかくその冬は強烈で、しょうもない考えがすごい勢いで浮かんでは消えるため呼吸するだけでくたくたになり、立ち止まると泣き崩れて動けなくなりそうで仕方なく闇雲に歩き続けるかそうでなければ布団で寝ているという生活をしていた。その半期の単位は壊滅的だった。そのままずるずると4月になり5月になり、ふさぎの虫はあっさり消えてまた大学に通えるようになった。ある晴れた昼間、私は駅前の駐輪場に自転車を駐め駅に向かって歩いていた。街路樹の間にアベリアの茂みが植わっていた。アベリアは赤っぽい小さな葉に、同じく白く小さならっぱ型の花をつける低木だ、きっと誰でも目にしたことがあると思う。私はそのアベリアの茂みのところで奇妙な音のようなものを聞いた。ごく低くて小さくて、鼓膜には伝わっているけれど音ではない音、音未満の震えといったものだった。それがどこからやってくるのかは簡単にわかった。一匹のクマバチが太った体でふらふら飛び回りアベリアの蜜を集めていた。知らない虫ではなかったけれど改めて眺めるとなかなかかわいかった。何より素晴らしいのは羽音だった。春のゆるんだ空気にとろけて無性になつかしいような感じ。巨大な生物が眺めているのにクマバチは気にもせず蜜を集め続けた。そして不意に、本当に不意にそれは起きたのだけれど、クマバチの肢につかまえられたアベリアの花が体重を支えきれずちぎれて、クマバチは白い花弁を抱きかかえたまま茂みの中へ消えていった。そうしたら鳴り続けていた羽音がやんだ。途端にあたりがクリアになって、私は雷に打たれたようなショックで全部を思い出した。ここが駅前であることも家に帰る途中だったことももう冬ではなくて春だということも。それから全部わかった。私のつらさ、私の苦しみ、生まれて以来続く自分と世界との間に膜がかかっているような感覚、それがクマバチの羽音にそっくりだということがわかった。無性に懐かしく感じたのはそのせいだった。クマバチの羽音が世界の通奏低音となってあたりの輪郭をとろかしてしまうように今この場にまったく関係ない考えが頭の中で鳴り続けて、そのせいで私は周りで起きていることがちっともわからなくなる時がある。その時a bee in your bonnetという慣用句を10年以上ぶりに思い出した。奇妙な考えにとりつかれている。帽子の中どころじゃない。こうして私は頭の中で蜂を飼っていることに気づいた。叩き殺してやれたらどんなに楽かと思ったけれど忌々しいことに絶対に蜂を手放したくないのも本当だった。それで私は蜂本といいます。こんにちは、蜂本といいます。