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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

解禁日に出猟しなかったことと左右というバンドについて

解禁はしたけれど

土曜日、猟友会の方から「登録証が来たからいつでも取りに来て」と電話があった。

登録証というのは狩猟登録証のことで、ハンターは狩猟をしたい都道府県ごとに狩猟申請を出す。狩猟免許を持っていても登録証がなければ出猟できない。狩猟中も必ず携帯しなければならない大事なものだ。

 

10月に申請はしたもののなかなか登録証が来ずソワソワしていた私は、なのでさっそく受け取りに行った。登録証以外に野外で目立つオレンジ色のベストと帽子、狩猟手帳に登録証、会報誌、それから銃弾で作ったキーホルダーをもらった。

 

翌日、日曜日は地域の狩猟解禁日だったが、私は残念ながら出猟しなかった。理由は、雨降りと思われたこと(結果的には曇り時々晴れだった)、風邪気味だったこと、それから私のやろうとしている網猟は猟師のなかでも人口が少なく、まだ教えてもらえる機会の目処がたたないこと。これについては猟友会の方が紹介してくださることになった。

 

それから大きな理由がもうひとつあって、左右というバンドがライブのために大阪へやってきたことだ。


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 左右というバンドについて

以下、話題がガラッと変わってしまうのだけど、左右は東京を中心に活動する横浜のツーピースバンドである。無機物っぽい方を花池洋輝さんといい、ベースとドラムとヴォーカルをいっぺんにやっている。有機物っぽい方は桑原美穂さんといって、ギターとカズーとヴォーカルをいっぺんにやっている。わかりにくい名前だけど「左右」がバンド名である。

【左右】 - 左右

 

最初に存在を知ったのは花池さんの方だった。第一の印象は「なんだこの骨のきれいな人は!」であり、第二の印象は「骨のきれいな人というよりきれいな骨みたいな人だな!」だった。

デイリーポータルZで、プープーテレビ「ともだち探そう」という動画シリーズが始まった。左右の花池さんと、トリプルファイヤーの吉田さんというミュージシャンふたりがあちこちへ出かけ、通り魔的に友達を探そうとする企画だ。ここが大事で、「ともだち見つけた」ではない。「ともだち探してみた」ですらない。あくまで「ともだち探そう」なのだ。※知り合いでもないミュージシャンにさん付けするのはすごく変だけど、なんかいやなので付けます


ともだち探そう第一回「後ろ向きな二人」(プTV) - YouTube

 

この二人のコミュニケーションの空回りぶり(撮影・編集の大北さん曰く「ポンコツぶり」)に目が釘付けになり、次回の更新が待ちきれずに左右の動画を見始めた。大体どのMVでも花池さんの横でかわいい声の人が暴れまわっていた。気づいたらCDを買っていた。ちなみに同じような工程を経てトリプルファイヤーのCDも買った。

 

左右の音楽がどんなかと言うと、音楽に詳しくない私にはよくわからない。この日記を書く前にネットでいろんな人の説明を読んだけれどさっぱりわからなかった。YouTubeに素敵なMVがたくさんあるので聞いた方が早いと思う。


左右(sa yuu) 『イエローヘイト』 MV - YouTube

私にはただぎこちなくてカッコイイというそれだけだ。

 

CDで聞くより気まずさが2倍

左右が大阪に来ると聞き、生まれて初めてライブハウスへ行くことにした。長くなってしまうので書かないけれど他の演奏もすごくおもしろかった。想像していたライブと同じだったり、違ったりした。

 

たとえば「バンド仲間同士は目と目で会話するもの」と思っていたが、左右の二人はほぼアイコンタクトをしなかった(他のバンドはやっていておおっと思った)。花池さんは右奥に座り、桑原さんは左前に立ち、二人ともどこを見ているのかよくわからない。曲と曲の合間では、桑原さんが開始の合図を読み取ろうと花池さんに顔を向けるが、当の花池さんは宙を見ていたりする。そして突然MC(MC?)みたいなものが始まるのだけれど、

 

「先日、知り合いから、いい本を、貸してもらって。読んでみたら、すごくいい、本だったので。いい体験をしたなと思いました。」

 

といった内容に終始し、かと思えば言葉がぷつんと途切れて次の曲が始まったりする。そういう時、二人を介して場全体へ気まずい空気が広がる。

 

「気まずい」は左右のキーワードである。歌詞にもレビューにもインタビューにも頻出する。「気まずい」ってどういうものだろうか?辞書には「互いの気持ちがしっくりと合わず不快なさま」と書いてあるが、私は沈黙がハウリングを起こすことだと思う。

 

互いに気持ちがかみ合わないと、対話に意図しない沈黙が生まれる。わたしの沈黙とあなたの沈黙が共鳴し、ふくれあがり、対話をかき消してしまう。沈黙は静かであるとは限らなくて、それが左右の音に現れてくるのではないか。

 

世の中には励まされる歌とか一体感が得られる歌とかいろいろあるのに、左右は違っている。身に覚えのある居心地の悪さが歌われること自体にはほっとする。しかしほっとする前に、何か突きつけられたような、極端にいえば攻撃されたような衝撃がある。別に歌詞が過激な訳ではない。ただ気まずさのなかではどんな身動きも危うく、そのせいであらゆるコミュニケーションが暴力のように思われるのだ。歌うのも聞くのもともだちを探そうとするのも。

左右はこの世に向かって居直り強盗をしているんじゃないだろうか。私たちは分かり合えないが、気まずさだけは手に入れられる。

 

 ところで曲の感想をいくつか書きます。

「河童」のMVには、いつもは並んで演奏する二人がガッと向き合う場面があってすごく好きだ。


左右(sa yuu) 『河童』 MV - YouTube

ライブではガッと見合うことはなかったのだけど、冒頭、桑原さんがこちらに背を向け、花池さんに向かい合う格好でシンバルをバシャーン、バシャーンと叩き始めたので私の中の腐女子が大歓喜してしまい、そのあと元の位置に戻る勢いで桑原さんの放り出したスティックがからからーんとこちらへ転がってきた瞬間「コミュニケーション…あ、あ、ありがとうございます…南無」とつぶやきながら腐女子は成仏した。

 

最後の曲は「箱のうた」だった。

 

youtu.be

途中から花池さんが立ち上がり、マイクを持って前に出てきた。桑原さんと花池さんは並んで歌う間じゅう、左右になったり、また桑原さんと花池さんに戻ったりを繰り返しながら、明滅するようにして歌っていた。ああよかった、と思ってちょっと泣きそうになった。

 

左右はますます人気者になってちやほやされてほしい。お金をいっぱい手に入れてほしい。そしてどんなに幸せになっても世界に対する気まずさを一生抱え続けてほしい、どうかお願いします。