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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

点取日記 30 三十

昨日は休みだったので、出たばかりの電気グルーヴのアルバム『30』を聞くことにした。

発売日に行った店は売り切れで手に入らなかったが、幸いSpotifyで聞けるというのでそれをかけっぱなしにした。

 

『30』は新曲ではなくて、これまでの30年から楽曲を選び、今の電気グルーヴの音にアップデートしたアルバムだ。

「Flashback Disco」や「猫夏」といった懐かしい曲もあって、電気グルーヴにハマりだした高校生の頃を思い出した。

 

 

そうたしか、『Short Films』に役者として出ていたピエール瀧を見て、「何この人!?」と雷に打たれたようになったのだ。そこから電気グルーヴにたどり着いた。高校2年生の時だ。

実はその前にポンキッキーズの『ポポ』を聞いていたのだが、物心がようやくついた頃だったので忘れていた。

どこかへ連れて行かれそうな機関車の汽笛になぜか惹きつけられたことは覚えている。

 

初めてきちんときいた電気グルーヴは、聞き慣れない音の洪水も、挑発的で下ネタ満載の歌詞も衝撃的だった。

本ばかり読んでいてJ-POPなどろくに聞かなかった高校生には刺激が強すぎ、なぜか赤面してしまったくらいだ。

 

そのうちポータブルMDプレイヤーを買ってもらい、通学中に聞くようになった。はじめはレンタルCDだったがやがて少しずつ買い集めた。ピエール瀧の『COMIC牙』のDVDは何度も見た。自分でもどうしてそんなにのめり込むのかその時はよくわからなかった。

 

 高校に入ってみると周りの同級生たちはずっと大人で、壊れやすく細やかな人間関係に一喜一憂していた。彼らに比べたら私自身のコミュニケーションのとり方は積み木遊びみたいなものだった。部活の友人たちはよく受け入れてくれたものだと思う。

小学校以来、断続的に襲われていた全身を串刺しにする虚無感と、半透明の皮膜ごしに世界を見ているような現実感のなさはますます強くなっていた。中学でなんとか上位を保っていた成績も国語以外はひどいものだった。

 

 高校時代は茫漠と過ぎていった。でも、本や音楽に好きなだけどっぷり浸かっていたとは言えると思う。

すがるように安部公房や内田百閒を読み、電気グルーヴを聞いた。

段ボール箱から世界を窃視する男やへらへら笑う人喰い豹と、万引きクラブの全国大会や後ろの正面のぞいたらオレが立っているのは同じ仲間だった。

それらは私と現実を隔てる皮膜の“こっち側”のもので、進路やバイトよりも圧倒的にリアルだった。

いいか、世界なんかいつでも狂い始めるんだぞ。しかも遠くのどこかの話じゃない、家の便所や電柱の陰から。と、それらは語っていた。

 

 電気グルーヴを聞いている時は安心だった。バカバカしくて笑える歌詞も多かったけれど、確実に狂気と死の予感がただよう瞬間がある。高校生の頃にいちばん好きで繰り返し聞いたアルバムは『VOXXX』だと言えば、わかる人にはわかるだろう。

私を追い立てる恐怖や不安も、こんなにポップにおもしろく、かっこよくなれるかな。 

何不自由なく、家族や友人にも恵まれているはずなのに、訳もなく襲ってくる生き苦しさがつかの間私から剥がれ落ち、跳ね回って踊った。

耳の中で永遠にふざけ倒すふたり組のおじさんは救いだった。 

 

毎日のように電気グルーヴを聞いた。

身動きできないほど混雑する朝の満員電車で聞いた。

授業が始まる前の教室でこっそり聞いた。

友達と見せ合うために初めて作ったブログを書きながら聞いた。

亀が日向ぼっこするため池や、変質者のおっさんが出るという空き地の横を自転車で駆け抜けながら聞いた。

夕方、自転車で誰もいない道を走っていたら、曇り空から陽が差し込んでみるみるあたりが金色になった。その時も電気グルーヴを聞いていて、突然降ってきた光と音が一緒になった。どこまで行っても大丈夫だという気がした。そんな風に思えるのは珍しかった。

「私今16歳で、こんなに電気グルーヴ好きやけど、大人になっても好きかな」と思った。「こうやって思うくらい好きやってこと、大人になっても忘れたくないなあ」と思った。

 

 

高校生の頃から何度となく聞いているのに、今でも石野卓球の声を聞くたびその美しさにハッとする。

中でもカ行サ行タ行、それから促音は、声そのものが気持ちいい。

『30』で今のところ一番のお気に入りは「いちご娘はひとりっ子」。「コサックダンスで来たっけ?いくらでしたっけ?」「カセットコンロ持って待ってる 市場イチのベッピン」といったフレーズは、まさに気持ちよさを目がけて作られたような歌詞でとても好きだ。

 

と、同じようなことをTwitterに書き込んだら、「石野卓球さんが引用RTしました」という通知が来たので驚いた。よくエゴサーチしているのを忘れていた。悪口が本人に伝わるのも相当気まずいけれど、べた褒めを拾われるのもソワソワするものがある。

ツイートを開くと「オデ、ダ行とラ行は苦手」とちょっとはにかんだようなコメントが添えられていた。絶妙に石野卓球らしくて嬉しくなった。

 

高校生の私よ、今こそ疑問に答えよう。

お前には負けるけどめっちゃくちゃ好きやぞ。

 

ところで点取日記も30回目となりました。なんだか素敵な偶然でしょう?

 


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「こわい顔をしておこるな 2点」

こんな顔か?

ファミマからエロ雑誌消えてた

ビジネス街のど真ん中にある今の職場に通い始めて一年と半年ほど経つ。内勤労働者で溢れかえっているこの街は通えば通うほど不自然で、不思議とちっとも愛着が湧かない。

 

便利なことはけっこうある。たとえば駅から近いこと。道がきれいに舗装されていて歩きやすいこと。郵便局やコンビニやファーストフード、医院などがすべて徒歩圏内にあること。

不便に感じることもそこそこある。無味乾燥で緑がない。文化的な要素はほぼ皆無。定食屋のごはんは油っこく量が多く、さほど美味しくなく、微妙に高い。平気で歩きタバコをする奴がいる(電子タバコが増えたけどそれでもくさい)。

 

コンビニはその街を映すというけれど、初めて職場から徒歩1分のファミマに入った時は衝撃だった。入ってすぐのところにある雑誌コーナーの、半分以上がびっしりとエロ雑誌で覆われていたのである。

一瞬店長の鮮烈な自己表現かと思ったが、他の棚を見渡すとそうではないらしかった。文具や衛生用品の棚はかゆいところに手が届く品揃えだ。格安の肌着や使い捨てパンツなんてものも売られていて、過酷な会社員の生活が垣間見える。

 

ということは、このファミマはビジネス街に最適化された店なのだ。おびただしい量のエロ雑誌も?たぶんそうなのだろう。

正直ゲェッと思ったが、何度か通ううちに慣れてしまった。仕事の合間によく100円コーヒーやグミが欲しくなるし、雑誌コーナーはATMの真ん前にあるから時々は前を通らざるを得ない。

それでもATMを使うたびに、この店でエロ雑誌買う奴マジかよ、と思っていた。

 

だって、職場近くのコンビニでエロ雑誌を買わずにいられない精神状態、想像するに余りある。知人に出くわす確率だってそれなりに高い。

鞄にエロ雑誌を詰めて客先に行くこともないだろうから、買うとしたら帰り道だろう。ふと、エロ雑誌を買う会社員の気持ちが生霊のように私にまとわりついてきた。

 

やっと会社出た。もう22時まわってる。あとは飯食って風呂浴びて寝るだけ。昨日と同じ。晩飯を買うためにコンビニに入る。明かりがまぶしい。脳みそがくたびれきってて何を選んだらいいかすらわからない。パスタでいいか。酒、はやめとこう。専務の的はずれな説教ムカつくな。肩と腰と目が痛い。あー。振込したいけど気力ない。グループチャットでミスを指摘してくる部下やめろよ。小娘が。なんかイライラしてきた。期間限定のわさび味ってうまかった試しがない。助けて。イライラっていうかこれ、ムラムラかな?あー、あー、あー、あー。楽しいことなんもない。電車でやるソシャゲしかない。ネットにはエロの海が無限に広がっているとわかっていながら、私の手がするすると勝手に伸びてカゴの中にエロ雑誌を放り込む。

 

そういう空想が浮かんでげんなりした。もしかしたら買う人はもっと考えなしに、スナック菓子感覚なのかもしれないけれど、少なくともビジネス街という公的な自分しか存在しない場所でひしめくエロ雑誌は、そういうどんよりした鬱屈を叫んでいるように見えた。余計に雑誌コーナーから足が遠のいた。

 

 

昨日ファミマでATMを使った時、何かがいつもと違うような気がした。

あれ?なんか今息がしやすかったぞ。雑誌コーナーを振り返った。

エロ雑誌の大群が消滅していた。

 

あっ、と思った。久しぶりに、実に久しぶりに雑誌コーナーをじっくり見た。

こちらに正面を向いて陳列されていたエロ雑誌が一冊もない。ファッション誌や漫画雑誌、ビジネス誌だけだ。

よく見ると下の段の端っこに、マイナーなホビー誌に押しのけられるようにして「女子校生」「寝取られ」という文字が頭をのぞかせている。それも三、四冊程度だった。

前日、世間では「ローソンとセブンイレブンが8月末までに成人向け雑誌の取扱いを中止する」というニュースが流れたタイミングだった。

ファミマは取扱いをやめない、と発表したはずだった。

 

もう一度、雑誌コーナーの前で大きく息を吸い、吐いた。

これまでの自分がその前を通る時、息を止めていたことに初めて気づいて驚愕した。まったくの無意識だった。

 

お金を出してデスクに戻ると、怒りがめらめら湧いてきた。

雑誌コーナーの前を、何も感じずにただ通り過ぎることができる。

なんで?なんで今までこうじゃなかった?

スケベなものが見たい、わかる。そういう時、ある。でも24時間むき出しで開陳することなくないか???

 

いわく、

「女は無理やりに合意なく犯してもいい」

「女は痴漢してもいい。心の底では向こうもそれを望んでいる」

「女は胸、尻、それだけの存在である」

「女は10代の子供であっても性的に消費していい」

「女は…」「女は…」「女は…」

 

毎日、毎日、コンビニでそのメッセージを目にする。

食べ物や文房具や、その他の生活必需品を買うコンビニで。

ここはビジネス街なのに。男性ほどではなくても、たくさんの女性が働いているのに。

 

もしもこれを読んでいる人が、「ピンとこない、あなたが何かされたわけじゃないでしょ」と思うなら、想像してほしい。

サッカー部だとかO型だとか無職だとかマヨラーだとか、なんでもいいから自分の属性のひとつが「人格を無視していい」「好きに殴りつけていい」ものとしてと扱われ、大きな娯楽産業になっていることを想像してほしい。あるいは、毎日行くコンビニで栄養ドリンクや冷えピタと一緒に売られていて、商品として宣伝されている様子を想像してほしい。

 

コンビニでエロ雑誌の壁の前を通る時、心がほんの少し削れる。それは自分でも気づかないくらい、即座に無視できる程度のものだ。

でも十分に有毒だった。だから無意識に息を止めていた。

いや止めていたのではなく、殺していたのだ。息や視覚や心の働きの一部を。

 

帰り道でニュースを見たら、一日遅れでファミマも8月末までに成人向け雑誌を取扱中止すると発表したことを知った。つまりあの店舗は自主的に撤去したのではなく、企業としての決定を先取りしたわけだ。

英断だと思った。でもありがとうとは言いたくない。あっったりまえだろ、と思う。今までが本当に異常だった。

 

エロ雑誌の今後について、その流通やそもそもの内容について、色々な意見が飛び交っている。

もしどうしてもエロ雑誌をコンビニで買う以外、人生にいっさいの希望を持てない人がいたとして(いるのか?たぶんいるんだろう)コンビニでの販路を残すなら、チケット購入端末から買えるようにしてほしいと思う。

ロッピーだかファミポートだか、ああいうのを操作して、気に入った表紙のレシートを発行してレジで出してもらうのだ。今までだって紐でくくられてて中身は読めないんだから同じことだ。

 

会社員の生霊が「そういうことじゃないんだよ」とボソボソつぶやいてくる。「ああいうのは衝動的に買うからいいんだよ」。うるせえな、くたばれ、成仏しろ。とにかくもう不意打ちでエロ雑誌を見せられる世界に戻りたくない。

 

点取日記 29 猪の解体

昨夜、訳あって猪の解体に参加した。狩猟をやっている海底クラブ氏(id:kaiteiclub) が年明け早々に獲ったものだ。その猪はまだ若いオスでとにかくデカかった。私よりも大きく、私の周りにいる大抵の男性よりも大きい。一部始終はそのうち海底クラブ氏がレポートしてくれるはずだ。

 

解体から調理と片付けまで、かかった時間は8時間以上。関わった人は入れ代わり立ち代わりの者も含めて十数人。猪は巨大で重かった。10人ほどでもも肉を1本食べただけで、みんな満足してしまったくらいだ。

 

前半の山場はナイフで皮を剥がす工程だった。猪は脂がうまいのだが、相当注意深くやらないと皮に脂が残ってしまうのだ。皮と脂の境目をナイフの刃先で撫で切ると、ほんの少しだけ皮が剥がれる。これを何度も何度も繰り返して、全身の皮が剥がれるまでやる。

 

参加してくれた人たちは刃物をふるいながらしょっちゅう「ああ」、「うう」と嘆息を漏らした。一番唸っていたのは私だったかもしれない。

 

しかも外でやっているから寒い。暖かい場所では肉が傷んでしまう。寒いと脂はますます固くなり、刃が通らなくなる。とにかく無心になって手を動かすしかなかった。それでも無心になりきれずに、「大量の肉を大勢で処理するのって、すごく社会って感じがするな」とか「スーパーでお肉を買えるシステムすごすぎる」とか色んな考えが浮かんでは消えていった。

 

結局時間がかかりすぎるので、皮を剥いだらすぐ食べる分だけを切り取って一旦食事にした。角煮やお鍋はあたたかく、おいしく、ありがたかった。そのあとはまた作業に戻った。大まかな部位ごとに塊肉を作るのだ。ここでまた肉体の重さを思い知らされることになった。もも肉の一本を45Lのビニール袋に入れると、その重さと弾みで袋から骨が突き出した。とにかく黙々と腱を切り、骨を外し、必要ならば折った。

 

話は変わるが、私は短歌を詠むのが好きだ。たまにネット上の歌会に投稿もしている。短歌は31音あって、ぐねぐねと考え事をしがちな自分にはそこそこ向いている定型詩だと思っている。俳句は鑑賞するだけで作らない。17音はあまりに短くて、作者の思考の骨が露出しているような気がしてしまうのだ。自分の感性が本当は凡庸で粗雑だとバレてしまうかもしれないから、それを認めるのが怖いから、私は俳句を作らない。

 

開かれた猪の胸から1本ずつ肋骨を切り出すのは終盤の難所だった。技術がいるし、根気もいる。曲線に刃をうまく沿わせないと骨に余計な肉が残ってしまうからだ。疲労は限界に達していて、こわばった指で掴むナイフが滑りそうになる。気づけば深夜の2時をまわっていて、冷たい戸外の空気がさらに凍っていくのがわかった。

 

ひと気はもうかなり少なかった。少し離れたところにある自販機から時々ゴロゴロドーン、と飲み物を買う音がするくらいだ。集中、集中、と思いながら無心に作業を続けていると、本当に突然、伸びをするみたいに自然に、俳句が口をついて出た。初めてのことだった。

 

自販機のひかりやししを解体す

 

巧拙はわからないけど、結構いいじゃんと思った。あとで検索したら猪は晩秋の季語らしかった。そうですか。

 


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「大きな会社の社長になれる 10点」

 

とっても素敵だけど、それよりも温かいココアが飲みたいわ。

点取日記 28 カシミヤの手袋

謹賀新年。年末から実家に帰って以降祖父母の家を訪問した以外はだらだらと過ごしている。ここ数年、風邪やインフルエンザで年末年始の休みをふいにする年が続いていたが、今年は健康そのものだ。

 

健康体は暇である。猫と遊んだり、昼寝をしたり、昔の絵本を読み返したり、微妙な映画を見て微妙な気分になったり、ごちそうの残りをかじったり、ごちそうで荒れた胃を白湯でなぐさめたり。

初売りには全然興味がないし初詣は気が向いたら行く派なので、初夢を見るくらいしか正月らしいイベントがない。今年の初夢は「魔法学園の狭苦しい寮の二段ベッドで折り重なるように寝ていたら悪魔が攻めてきて、ネコ科動物に变化した悪魔と戦う」だった。

 

みんなもそろそろお正月に飽きてるんじゃない? ろくでもない初夢から覚めたあと、そう思ってTwitterを更新すると平和で緩慢な空気に満ちていた。しっかりしてくれ私の精鋭たちよ、いつものキレのあるツイートはどうしたんだ。

結局お正月休みと退屈は裏表で、退屈を持て余してぼんやり過ごしてしまうことも含めてお正月休みなのであり、そういう種類の楽しさなのだな、とぼんやり思う。

 

そのようにひとつの文に二度「ぼんやり」と書いてしまうくらいぼんやり過ごしていたが、今日は有意義なことでもするか、暇だし。と思って手袋を繕った。とても気に入っているカシミヤの手袋だ。肌触りがよくて温かくスマホ対応。自転車に乗る時は必ず着けていたが、ハンドルに体重をかけてグッと握り込むせいで中指の先が両方とも破けてしまっていた。

 

近所の百均で買った修繕セットには黒、紺、グレーの小さな布切れが1枚ずつ入っていた。生地の片側にきらきらと光沢があり、アイロンの熱でくっつく糊が付いているらしい。先にアイロンのスイッチを入れておいて両の手袋を裏返す。左の手袋を裏返すと右手にぴったりと、右の手袋を裏返すと左手にぴったりとはまった。私のふたつの手は、節くれだった第二関節も爪の大きさも本当によく似ている。

 

穴に合わせて切った補修布を手袋の中指に乗せ、アイロンを取る。プレスする前に邪魔にならないよう他の指を折り曲げたら、アッと思った。ひと揃いの手袋がゆうゆうと中指を突き立てていた。お正月には少々不謹慎な光景だ。ちょっと愉快だと思った。ふぁっくゆー。

 


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「けんかに勝ってもじまんするな 4点」

やるか? かかってこい。