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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

点取日記 24 お菓子の発生源

引っ越す前に「実家から引っ越したら、太りやすなるから気いつけや」と職場のある人に言われた。

インスタント麺やスナック菓子を思う様食べても見張る人がいないので、体重管理が難しいという意味だ。

しかし時々行く銭湯で測っているが今のところそういう傾向はなく、むしろ体重は少し落ちた。

 

ひとつには半同居人の自炊能力がやたらに高く、インスタント麺の出番が今のところないのだ。

もしくは、ジム通いでわずかについてきていた筋肉が落ちているのかもしれない。これは嫌だから近日中に部屋でできる筋トレメニューを作るつもりでいる。

しかし一番にはやはり、お菓子を食べる量が減ったのだと思う。

 

実家には猫くらいの大きさの菓子箱があって、その時々にいろんなお菓子が補充されていた。おかきや柿の種の小分けパックの類、おせんべいやビスケット、ドライフルーツ。冷蔵庫にはチョコレート菓子が入っていて、小腹がすくとちょくちょく食べていた。

両親が買い出しの時に買ってくることもあったし自分で買って入れておくこともあった。

 

そうしてお菓子を食べるのは我が家の日常の一部になっていたのだが、引っ越したらお菓子を食べるのがずいぶん控えめになったのだ。

もらいもののお菓子や見切り品の果物を大事に少量食べてお茶を飲むとそれで満足してしまう。あの小腹はどこへ行ったんだろうか。

本腰を入れて文章を書く時だけは脳みそに大量の糖分が必要で、飴やグミを職場で摂っている。(ルーティーンと化しているけど実際どの程度効果があるのかは知らない)

 

お盆休みはおおむねだらだら過ごし、一日だけ実家を訪れた。弟夫婦の結婚一周年祝いと私の追い出し会を兼ねた集まりだ。

料理の準備や何やらをして一息つこうと菓子箱を開けたら驚いた。引っ越して半月も経つのに、お菓子の顔ぶれが変わっていないのである。

 

「お菓子ぜんぜん減ってへんやん」と聞くと、母は「そうやねん」と言った。

いわく、以前は買い出しの時に「(私)が食べるだろう」という気持ちが働いて、よくお菓子を買っていたのだそうだ。私が家を出たのでお菓子を買うモチベーションがなくなったのだという。

私は私で「うちの両親はお菓子が好きだなあ」と思っていて、自分が買う時は両親の好みそうなお菓子を無意識に選んでいたし自分もそれを食べていた。お菓子がないからといって、どうしてもあのスナックが食べたい、というような衝動はない。

 

両者が離れた今、どちらもお菓子を食べなくなったわけだ。とすると長らく我が家の猫ほどの体積を占めていたこの菓子箱とは、一体なんだったのだろう。

 


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「大きなこえでどなってやろうか 5点」

 

私は声に力がなく、居酒屋で店員さんを呼ぶにも苦労するので、大きな声を出せる人というのはそれだけで憧れる。

空気をつんざくような声ってあるでしょう、私はその反対で、空気の壁にへにゃんと押し返されてしまうようなのだ。

その点文字は間違いなく伝わって便利だなあ。何が違うのでしょうねえ。へにゃん。

点取日記 23 一夜城

私の部屋は少々変わったつくりになっていて、ベッドのすぐ脇に台所がある。
始めはなんだか変だと思ったけれど、あちこちが剥げた薄青いタイルが冷たく光っているのを見ながら布団でごろごろするのはそう悪いものでもない。

 

昨夜もそうやって寝転がっていたら、白い壁にぽつんと黒い点が現れた。すわカメムシかゴキブリの子供か、と跳ね起きたがもう一度よく見るとそいつは壁にへばりついているのではなく、空中にぴたりと静止していた。
天井から降りてきた蜘蛛だった。

 

ちなみに、先日コンロの近くに巣をかまえていた蜘蛛とは種類が違う。あの蜘蛛はいつの間にか引っ越してしまって最近姿を見ない。毎朝焼き網でパンを炙って食べているから、熱波が嫌になったのかもしれない。残念だ。

 

天井から降りてきた蜘蛛は先日の蜘蛛より一回り大きく、黒い体をしていて、お腹の上側に白い模様が入っている。
糸もいくぶんしっかりしている。このまま布団に降りられては困るから、糸の上の方を掴んで引き離した。蜘蛛はわたわたと肢を動かしてあわてている。巣を作るなら台所の隅っこにでもつくれ、と心の中で話しかけながらそちらへぽいっと放ってやった。
ベッドと台所が近いのにはこういう利点もある。

 

それからしばらく本を読んだりゲームをしたりして遊んでいたら、また視界に黒い点が降りてきた。蜘蛛だ。同じ個体だろう。
うっとうしいな、と思いながらふたたび糸を掴んでさっきより遠くに放った。

 

さらにその後、お風呂や何やを済ませてもう寝ようとベッドに戻ったら、またぶらさがっていた。
何がそこまでお前を駆り立てるんだよ。先日の小さな蜘蛛といい、この場所は蜘蛛に絶好の狩場と思わせる何かがあるのだろうか。
確かに巨大な動物(私)に寄ってくる蚊なんかを捕まえるにはいいのかもしれないけどそこに居られちゃ困る。「眠っている人間が無意識に食べてしまう蜘蛛の数は生涯で8匹」という都市伝説を思い出して気分が悪くなった。

 

私は糸を掴むと台所の前を通り過ぎ、玄関の靴箱に向かって蜘蛛を放った。
悪いがあきらめてもらうほかない、蜘蛛よ。

 


朝目が覚めたらベッドのすぐ脇に大きな巣が出現していて驚いた。

 

ベッドと台所の間、腰掛けた時の目線ほどの高さに直径約30センチの巣が張られている。巣の根元はそれぞれ天井、壁、柱へと伸びていて、支え糸の長さは1メートルを超えている。
巣には放射状に緻密な横糸が描かれており、その真ん中には建築士にして現場監督、大工をも兼任する蜘蛛が鎮座していた。人間の勝手な思い込みだろうが誇らしげに見えた。

 

つまり彼(または彼女)は初志貫徹したのだ。
玄関に放り出されたあと、蜘蛛の肢ではけして近くない距離を歩いてこの場所へ戻り、一夜城をつくりあげる仕事にとりかかったのだ。巨大な動物が眠っている間に……。

 

枕元にいきなり巣を張られて戸惑ったが、同じくらい感嘆して笑ってしまった。なんて頑固なんだろう。
そのまま半同居人の部屋にいって叩き起こし、カメラを貸してもらった。半同居人は小さな生き物をきれいに撮れるモードのついた便利なカメラを持っているのだ。

 

写真を撮ったあとふたりぶんの朝食の支度をしたが、巣を壊さないよう迂回してあれこれするのはとんでもなくやりにくい。
朝顔につるべとられて」どころではない。台所の隅ならまだしも、台所の正面を堂々と塞がれているのだ。

 

首筋がつりそうになりながら、「やっぱりこのままにしておくのは無理がある」と悟った。
帰宅したら巣を外して蜘蛛ごと廊下に出しに行こうと思う。
それでも蜘蛛がここが巣なのだと戻ってきたなら、どうだろう、根負けしてしまうかもしれない。

 


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「ぼろくそに言われた 3点」

 

野球少年がカミナリ親父の家の窓を割って叱られている、サザエさん的なシーン。
よく見ると頭を下げている少年の顔がまったく反省していない。そのあたりが3点の所以だろう。
このタフさは見習いたいですね。

点取日記 22 この道はいつか来た未知

道を覚えるのがあまり上手くない。

 

引っ越して始めの1週間、つまりつい5日ほど前まではGoogle Mapなしで家に帰るのが難しかった。帰りは暗くて道がわかりにくく、しかも距離がそれなりにあるので当てずっぽうで方向を間違えると悲惨なことになるのだ。

最近ようやくGoogle Map離れができたところである。何かの間違いで今も世界にGoogle Mapが発明されていなかったら思うとぞっとする。

 

方向に強い人というのは、東西南北の感覚が体にインストールされているらしいと聞いた。その場でくるくるまわっても、ぴたっと止まればどちらが北か、たちどころにわかるというのだ。

そういう一種の特殊能力ではないにしろ、おおよその脳内地図に自分という点を投影してざっくりと歩き出せる人はけっこういるのじゃないかと思う。

 

タチドコロもザックリもできない私は、どうやって道を覚えていくのかというと、ただ印象に残った道端の物体を記憶する方法をとっている。

古びたお店の装飾、不機嫌そうな犬の置物、今さら猫よけペットボトル、道の大胆なひび割れ、出しっぱなしのはしご、手製の「駐車禁止」の看板、政治家のポスター、云々、云々。

それらを糸のように手繰って歩いている。ちょっと複雑なだけで、やっていることはヘンゼルとグレーテルだ。

 

もちろんそれはここ数日の話。いくら私だって以前は足掛け11年同じ場所に住んでいたので、帰り道で迷うなんていうことはなかった。考え事にふけっていたっていつの間にか足はちゃんと体を正しい方向へ運んでいる。まるで自動運転だ。いや、私は元々自分で動いているんだけど。

 

 

しかしよく知っている道が新鮮さを取り戻す瞬間があって、私はけっこうそれが好きだった。

たとえば長期旅行から帰った時。初めて家に来る人を案内する時。すごく嬉しいことがあった時や、すごく嫌なことがあった時。

会社に退職願いを出した日なんかすごかった、街路樹いっぽんいっぽんの幹が光り輝いて見えた。あれを再体験するためだけにもう一度就職したいくらいだ。

精神的に大きな変化があると既知のものも違って見えやすいのだろう。文学でいうところの異化である。

 

それで話は今に戻るけれど、実は今日また帰り道で迷いそうになってしまった。

道は合っているのになぜだろう、覚えたばかりの貼り紙や猫よけペットボトルがなんだかよそよそしい。

結局、はっきり目印になるようなお店や交差点の名前を頼りに歩くしかなかった。

 

なんとか家に帰り着き、玄関に抱えていた箱を降ろすと疲労感がやってきた。

箱?

そう、私はAmazonの箱を抱えて歩いていたのである。

色々な雑貨を注文して、駅前のコンビニでそれを受け取ったのだ。

 

「それでか」と思った。

サイズは小脇になんとか抱えられる程度。大したことはないが、歩行への影響は意外と大きい。箱を押さえている左腕は歩く時振ることができず、視界にダンボールが常に入っている。ゴトゴト音も鳴っている。

 

覚えたての帰路は記憶が脆弱すぎて、Amazonの箱ごときで異化されてしまったのだ、たぶん。なんとわびしい話でしょう。これから大樹のようにたくましく育っていってほしい。私の道。

 


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「あまりパッとしないようです 4点」

 

おっしゃるとおりです。

 

点取日記 21 持てる荷物はとても少ない

週末は実家に忘れ物を取りに行っていた。

引っ越しの時これだけの荷物が私に必要なのかと驚いた話を以前書いたが、なんとまだまだ必要なものが足りていなかったのだ。

 

パン皿がなかったしヘアブラシを忘れていたし、ティーポット、小さなカゴ×2、カレンダー、ハンガー15本、カーテン生地、その他雑多な文房具類。

 

昔百貨店でもらったばかでかい手提げ袋とリュックにこれらを満載して帰るのはなかなか骨が折れた。

しかもまだ、なくてもすぐには困らないけど持って帰るのを諦めたものがいくつかあるのだ。本とか瓶とか。

 

あと猫。猫は連れて帰れないけれどこんなに離れるのは久々だったので(でも去年旅行で2週間家を空けたなそういえば)、じっくり撫でてきた。

 

1週間ぶりに会った猫はなんとなく出迎えてくれ、私が履いているジーンズで爪とぎをするなど独特のやり方で歓待してくれたがあとは平静だった。

 

もっと猫のかわいさが脳に染みて爆発したりするんじゃないかと思っていたが意外とそうでもない。

それより猫のふかふかした匂いと、抱き上げた時の体の温かさの方がずっと驚きだった。

 

考えてみれば当たり前で、視覚の記憶より嗅覚触覚の記憶の方が喪われやすいのだ。

こんなにも早く忘れてしまうなんてなんてあっけないのだろう、私にできることはせいぜい、その時感じたことを書き留めておくくらいのことだ。

 

うちの猫はいい匂いがします。お腹は干したての毛布みたいな匂い、胸はそれに少し酸っぱさを足した匂い、うしろ頭は埃の匂い、肉球はナッツみたいな匂い、口は物を食べたあとだと時々くさいです。

 

うちの猫はずっしり重たい。抱きあげると大人しく抱かれて顔を舐めてくれる時と、早々に脚を突っ張って降りたがる時があります。そして温かい。とてもとても温かい。小さな体の中心から温かさが泉のように湧いてくる。猫は自分が温かいことを知らないと思います。

 

その日はかつ丼屋でごはんを食べました。半同居人はチーズかつ定食を、私はおろしかつ定食を食べました。おいしかったです。

 


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「君は引っ込んでいなさい 5点」

 

最近文字だけの占いが続いていてさみしい。

言われなくてもわりと引っ込んでる方だと思う。

このくじすごくフラットな感じするな、5点という点数もそうだし、押し込めてるのかかばってるのかわからない感じがする。