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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

月曜祝日、The Shaggsを聞いて

今日は一日家にいてため込んでいたあれこれを片付けた。部屋を掃除したり買ったまま放置していた漫画を読んだり、ベッドの敷きマットの破れた部分を修繕したりした。その間じゅう、YouTubeでThe Shaggsを流していた。
 
The Shaggsを知ったのはほんの3日ほど前で、VICE JAPANの記事がきっかけだ。
 
すごく面白いしわかりやすい記事なのでくわしくはこれを読んでほしいけれど、The Shaggsは1968年ニューハンプシャー州フリモントで、父親に音楽活動をするよう命じられたウィギン三姉妹が結成したロックンロールバンドだ。特徴はセオリーを無視したドラム、予測不能のメロディ、我が道をゆくボーカル。つまり3文字にまとめると「ドヘタ」、2文字にまとめると「最低」ということだ。最低なはずなのに、田舎の冴えないガールズバンドで終わるはずだったのに、なぜか突如有名になり「ロック史における重要バンドのひとつ」とまで言われているのが彼女たちである。
 
家で雑用を片付けるのに作業用BGMをほしいなと考えて、このVICEの記事を思い出した。「世界最悪のロックバンド」とまで言われた彼女らの曲なら聞き流しても惜しくない。ところが流し始めて15分も経たないうちに作業が手につかなくなってしまった。The Shaggsの演奏が予想を超えてめちゃくちゃだったせいだ。
 
オリジナル曲を聞いてもそのめちゃくちゃさがわかりづらいかもしれないので、まずは誰もが知っている名曲のカバーを聞いてほしい。
 
Yesterday Once Moreだ。すごい。ヨロッヨロである。微妙に臆病なアレンジが差し挟まれるのが余計に腹立つ。
 
あとオリジナル曲だとこれもすごかった。
 
 
悪夢の中のカセットプレイヤーから流れてきそうな歌だ。ちなみにこの2曲はYouTubeの検索窓にThe Shaggsと打ち込むと真っ先にサジェストされた。そうだな。わかるよ。
 
The Shaggs プレイリストをかけている間、そのひどさをよりしっかりと味わうためにベッドマットを修繕する作業はしばしば中断され、私は一種の麻痺状態におちいった。そのうちになんだか奇妙な気分になってきた。私のこの状態って、素晴らしい演奏を聞いて我を忘れている状態からどれくらい隔たったものなんだろう?
そしてこの状態、馴染みがある。ほぶらきんだ。
 
ほぶらきんは私の大好きなバンドで電気グルーヴの前身である人生にも影響を与えている。1980年前後の数年間だけ活動し、メンバーに小学生がいたことも有名。The Shaggsと比べると天然ボケ度は落ちるというか、関西人の"ちょけてる"感じがあるけれど、The Shaggsを聞いた時の感覚と共通するところがある。
 
それは「こんなやつらに絶対勝てねえよ」という感覚だ。技術なんて関係ない、バンドのセオリーも関係ない、全力で暴投し明後日へ疾走する無垢さと暴力。そこに宿る聖性に、なんだかんだいって自意識過剰で型破らずの私は、胃が焼けそうな劣等感と羨望を覚える。
 
ベッドマットの破れを縫い終える頃、私はThe Shaggsが好きになっていた。
 

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これがその修繕跡だ。普段裁縫をしないから縫いあがりは自分で見てもなかなかひどい。でもThe Shaggsが流れていると、何が悪いんだという気持ちになる。これは新しいマットを注文するまでの応急処置なのだし、縫わないよりは縫う方がずっといいからだ。

殺意味の飴

毎日の楽しみにしている飴があって、名前を桜間見屋の肉桂玉という。岐阜県郡上八幡に旅行へ行った時出会った。銭湯で試食コーナーにあったのをひとつ口に放り込んでお風呂に入り、湯から上がる頃にはその味がすっかり気に入って、ひと袋買って帰ったのが始まりだ。
 

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肉桂玉は甘みがやさしく、とてもからい。正直言って万人受けする飴とは言えない。実際友人に配ってみたが半分以上はからすぎるという反応だった。私はこの飴を知るまで肉桂とシナモンはほぼ同じ味だと思っていた。微妙に違うのだ。シナモンは強く丸みのある香りがして、味はない。肉桂はさわやかな香りの他にビリビリと舌を刺す刺激がある。
 
初めて肉桂玉を食べた時「小動物から殺意を向けられているような味」だと思った。これまでに食べたニッキ飴とは一線を画すからさで、明確に「お前を殺す」という攻撃の意思を感じる。ただしその身はとても小さいのでせいぜい舌に噛みつくくらいしかできない。かわいいものだ。指の腹にアゴを立てる蟻や、つぶらな瞳のハムスターが全身の毛を逆立てて威嚇している姿を想像する。
 
旅行から帰っても私は毎日飽きずに食べて、とうとう肉桂玉はなくなってしまった。悲しかった。あの殺意が恋しい。インターネットで検索すると岐阜や名古屋の土産物店、またはFAX通販でないと買えない。もしくはAmazonで10袋入りというめちゃくちゃな単位でしか売っていない。
 
結局、その後偶然にも京都河原町の髙島屋で見つけることができた。地方の銘菓みたいなコーナーで売られていたのだ。嬉しくて、せっかくだからふつうの肉桂玉と黒肉桂という黒糖ベースの肉桂玉をひと袋ずつ買った。それから毎朝ひと粒ずつ、仕事へ出かける前に食べている。
 
今食べているのは最初に買ったのと同じふつうの肉桂玉なのだが、不思議なことにからさにばらつきがあるようだ。最初に食べた時はどの飴も殺意換算でいうとハムスター大だったのだが、昨日食べたのはカヤネズミ大だったし、今日はイタチ大だった。舌がギューッと絞り上げられるように痛み、嬉しくてほくほくした。これはこれでくじ引きのような楽しみがある。  肉桂玉のシリーズには、私が食べた「肉桂玉」「黒肉桂」のほかに、玄人向けの「特辛」があるらしい。殺意でいうとどれくらいだろうか。ネコ大までならなんとか耐えられる気がする。いつか食べたい。

ホワイトデーに生まれた女の子



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うちの会社は因習の色が濃く、いまだに2月14日になるとバレンタインデーをやっている。女性陣がお金を出し合って男性陣にチョコレートや準チョコレートを配るあれだ。職場のバレンタインデーに対する私の感情は極めてフラット、というか無であり、その証拠にたったひと月前なのにいくら払ったのか忘れてしまった。自分から配ろうとは死んでも言い出さない。積極的に買い出しに行くこともしない。しかしやるとなれば普段コミュニケーションをサボりまくっているツケを払う代わりに協力はする。という程度だ。
 
そういう体温の低い感じで例年職場のバレンタインデーをやり過ごしているが、当然の帰結としてうちの会社にはホワイトデーという因習も残っていて、今日がその日だった。
 
昼休みに何も知らされないままくじを引かされ待機していると、男性陣が両手にたくさんの袋を持って現れた。引いた番号に応じて小さな菓子とプラスアルファの品をもらえるのだ。私のもとにも春らしいピンクと白の袋がやってきた。すごい。お返しが存外ちゃんとしてる。
 
袋を開けてみると、よそ行きのマルセイバターサンドみたいなドライフルーツたっぷりのお菓子と、少女っぽいタオルハンカチと、香り別のハンドクリーム3本セットが入っていた。わ、わー、かわいいー、と思った。めちゃくちゃ女の子っぽい。自分では絶対買わないけど、もらうとわりと嬉しい絶妙のラインである。ほんとにちゃんとしてる。むしろもらいすぎではと思ったが自分がひと月前にいくら支払ったのか忘れたので何とも言えない。
 
隣を見ると先輩が小さい鳥かごを持って「わ、わー」と言っていた。鳥かごの中にレトロな瓶に入ったシャンプーなどのお風呂セットがいくつか詰めてある。あと、マカロンの形のバスボムが付いている。これはあれだ、家にこれがある女の子は天蓋付きのベッドで寝てるやつだ。さらに隣の先輩には冷えとり靴下が、さらにその向かいの同期には春の紅茶セットがあたっていた。口には出さなかったが私たちはその時同じことを考えていたと思う。「女子っぽくてかわいいけど、私、ここまで女子じゃない」。
 
誰からともなく、「男の人がこれ選んだのスゴイ」「女子より女子女子してる」という声があがった。するとそれを聞いていた部長が「一緒に買いに行って、おれの奥さんが選んでくれたんや」と言った。お菓子も別の男性が夫婦で買いに行ったそうだ。それで合点がいった。男の人が選んだにしては、あまりにも卒がなさすぎる。女の人が選んだにしては、あまりにも「女の子が好きそう」すぎる。
 
お返しの贈り物ひとつひとつに違和感はなかったけれど、こうしてもらったものを並べると妙な磁場が発生していた。それはひとつの仮想人格だった。「いろんな香りのハンドクリームを楽しみ、お姫様気分でお風呂に入るのが好きで、紅茶をたしなむ、冷え症が悩みの女性」という人格である。私たちの血のつながらない母親、歳の離れた姉が生み出した、彼女たちからすればまだ若いひとりの女の子。ホワイトデーのために彼女は生まれ、彼女の持ち物が私たちに分け与えられた。
 
悲しいかな、この職場に誰一人そのような女性はいない。そんな女性はたぶんどこにも存在しない。けれどもしも私が十年後、女の子のために気軽な贈り物をたくさん見繕ってと言われたら、同じことをしないと言えるだろうか。私はきっと自分よりも女の子らしい彼女を思い浮かべるだろう。彼女への贈り物の中には、マカロンの形のバスボ厶がきっと忍び込むだろう。

夢日記:悪夢二本立て

 
ミドリガメのスープ
野っぱらにある屋台のような店に行ったらミドリガメのスープを出される。温かい半透明の汁に満たされた白いプラスチックの椀に1円玉ほどの大きさのミドリガメがたくさん入っている。味付けはほとんどなく、出汁を味わうスープのようだ。カメたちはギュッと目をつぶり手足を縮こませて沈んでいる。甲羅の色は鮮やかな緑だ。味の薄い貝汁のような味がする。椀の中をよく見ると生きているのが数匹いて、スープの中をぱちゃぱちゃ泳いでいる。煮られたはずなのに変だなと思いながらつまみ出して水の入ったバケツに放り込む。7、8匹が集まる。せっかくだからどれか持って帰って飼おう、最近のペットのカメが1匹死んでしまったしと思い、どれを選ぶか考える。一番生きのいいのを選ばないと今は元気でも湯で弱っているかもしれない。あるカメにアタリをつけるが、素早く泳ぎ回るので他のカメとすぐに混ざってしまい、いつまで経っても目当てのカメを捕まえることができない。
 
知らない友達と一緒にアカデミー賞をもらったので、ホテルでお祝いをする。古びた洋館風のホテルの一室に入ると、部屋中食べかけの皿や開けっ放しのワインボトルなどでめちゃくちゃになっている。そう言えば去年もアカデミー賞をもらってこのホテルのこの部屋でどんちゃん騒ぎをやったのだった。その日からまる一年この部屋は放置されていたことになる。ウエッと思う。汚れた皿は干からびた麺や山盛りのカビなど、目を覆いたくなるような惨状。友達がホテルの人にかけあって、別の部屋を使わせてもらえることになる。移動して友達がお祝いの用意をしている間、私は体の汚れが気になったのでその部屋のシャワー室に行く。すると知らない男が部屋に帰ってきて、ここは自分の部屋だ、出ていけと怒鳴る。友達が訳を話そうとするが男は興奮してリボルバーを取り出す。友達はてんでばらばらに部屋の外へ逃げていくが服を脱ぎかけていた私だけ逃げ遅れる。追い詰められて半裸のままなんとか廊下に出て、二階の吹き抜けからロビーへと飛び降りるが、男の発砲したリボルバーの弾が首の左側に命中する。私は床に倒れ込む。古い銃だったせいか弾が貫通せずに首の右側の肉の中で止まっている。そのおかげで出血も大したことはないが、弾がずれたり無理に取ったりすれば大出血はまぬがれない。急いで静かに病院に向かわなければ。ホテルの人に車を出してもらう。首に弾の感触がはっきりあって気持ち悪い。ものすごく厄介な痰が喉に絡まっている感じだ。あと血が喉をつたって落ちていくのも気持ち悪い。病院で手当を受け、ひとまず命は助かったところに知らせが入る。あのホテルにいたアカデミー賞受賞者のひとりで、まだ若い女優が撃たれて亡くなったそうだ。同じように撃たれた私は偶然助かったのにこの差。首の怪我はあるものの、彼女の弔いに向かうことを決める。ホテルの人も車で戻ると言うのでまた乗せてもらう。ホテルに向かう道は大渋滞で、まわりは女優の男性ファンばかりだ。怒号、垂れ幕、プラカード、クラクション、乱闘、みんなずいぶん楽しそうに若い女優の死を悲しんでいる。車はちっとも進まない。