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蜂インザヘッド 

ものすごく考えているか、まったく考えていない

ホワイトデーに生まれた女の子



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うちの会社は因習の色が濃く、いまだに2月14日になるとバレンタインデーをやっている。女性陣がお金を出し合って男性陣にチョコレートや準チョコレートを配るあれだ。職場のバレンタインデーに対する私の感情は極めてフラット、というか無であり、その証拠にたったひと月前なのにいくら払ったのか忘れてしまった。自分から配ろうとは死んでも言い出さない。積極的に買い出しに行くこともしない。しかしやるとなれば普段コミュニケーションをサボりまくっているツケを払う代わりに協力はする。という程度だ。
 
そういう体温の低い感じで例年職場のバレンタインデーをやり過ごしているが、当然の帰結としてうちの会社にはホワイトデーという因習も残っていて、今日がその日だった。
 
昼休みに何も知らされないままくじを引かされ待機していると、男性陣が両手にたくさんの袋を持って現れた。引いた番号に応じて小さな菓子とプラスアルファの品をもらえるのだ。私のもとにも春らしいピンクと白の袋がやってきた。すごい。お返しが存外ちゃんとしてる。
 
袋を開けてみると、よそ行きのマルセイバターサンドみたいなドライフルーツたっぷりのお菓子と、少女っぽいタオルハンカチと、香り別のハンドクリーム3本セットが入っていた。わ、わー、かわいいー、と思った。めちゃくちゃ女の子っぽい。自分では絶対買わないけど、もらうとわりと嬉しい絶妙のラインである。ほんとにちゃんとしてる。むしろもらいすぎではと思ったが自分がひと月前にいくら支払ったのか忘れたので何とも言えない。
 
隣を見ると先輩が小さい鳥かごを持って「わ、わー」と言っていた。鳥かごの中にレトロな瓶に入ったシャンプーなどのお風呂セットがいくつか詰めてある。あと、マカロンの形のバスボムが付いている。これはあれだ、家にこれがある女の子は天蓋付きのベッドで寝てるやつだ。さらに隣の先輩には冷えとり靴下が、さらにその向かいの同期には春の紅茶セットがあたっていた。口には出さなかったが私たちはその時同じことを考えていたと思う。「女子っぽくてかわいいけど、私、ここまで女子じゃない」。
 
誰からともなく、「男の人がこれ選んだのスゴイ」「女子より女子女子してる」という声があがった。するとそれを聞いていた部長が「一緒に買いに行って、おれの奥さんが選んでくれたんや」と言った。お菓子も別の男性が夫婦で買いに行ったそうだ。それで合点がいった。男の人が選んだにしては、あまりにも卒がなさすぎる。女の人が選んだにしては、あまりにも「女の子が好きそう」すぎる。
 
お返しの贈り物ひとつひとつに違和感はなかったけれど、こうしてもらったものを並べると妙な磁場が発生していた。それはひとつの仮想人格だった。「いろんな香りのハンドクリームを楽しみ、お姫様気分でお風呂に入るのが好きで、紅茶をたしなむ、冷え症が悩みの女性」という人格である。私たちの血のつながらない母親、歳の離れた姉が生み出した、彼女たちからすればまだ若いひとりの女の子。ホワイトデーのために彼女は生まれ、彼女の持ち物が私たちに分け与えられた。
 
悲しいかな、この職場に誰一人そのような女性はいない。そんな女性はたぶんどこにも存在しない。けれどもしも私が十年後、女の子のために気軽な贈り物をたくさん見繕ってと言われたら、同じことをしないと言えるだろうか。私はきっと自分よりも女の子らしい彼女を思い浮かべるだろう。彼女への贈り物の中には、マカロンの形のバスボ厶がきっと忍び込むだろう。

夢日記:悪夢二本立て

 
ミドリガメのスープ
野っぱらにある屋台のような店に行ったらミドリガメのスープを出される。温かい半透明の汁に満たされた白いプラスチックの椀に1円玉ほどの大きさのミドリガメがたくさん入っている。味付けはほとんどなく、出汁を味わうスープのようだ。カメたちはギュッと目をつぶり手足を縮こませて沈んでいる。甲羅の色は鮮やかな緑だ。味の薄い貝汁のような味がする。椀の中をよく見ると生きているのが数匹いて、スープの中をぱちゃぱちゃ泳いでいる。煮られたはずなのに変だなと思いながらつまみ出して水の入ったバケツに放り込む。7、8匹が集まる。せっかくだからどれか持って帰って飼おう、最近のペットのカメが1匹死んでしまったしと思い、どれを選ぶか考える。一番生きのいいのを選ばないと今は元気でも湯で弱っているかもしれない。あるカメにアタリをつけるが、素早く泳ぎ回るので他のカメとすぐに混ざってしまい、いつまで経っても目当てのカメを捕まえることができない。
 
知らない友達と一緒にアカデミー賞をもらったので、ホテルでお祝いをする。古びた洋館風のホテルの一室に入ると、部屋中食べかけの皿や開けっ放しのワインボトルなどでめちゃくちゃになっている。そう言えば去年もアカデミー賞をもらってこのホテルのこの部屋でどんちゃん騒ぎをやったのだった。その日からまる一年この部屋は放置されていたことになる。ウエッと思う。汚れた皿は干からびた麺や山盛りのカビなど、目を覆いたくなるような惨状。友達がホテルの人にかけあって、別の部屋を使わせてもらえることになる。移動して友達がお祝いの用意をしている間、私は体の汚れが気になったのでその部屋のシャワー室に行く。すると知らない男が部屋に帰ってきて、ここは自分の部屋だ、出ていけと怒鳴る。友達が訳を話そうとするが男は興奮してリボルバーを取り出す。友達はてんでばらばらに部屋の外へ逃げていくが服を脱ぎかけていた私だけ逃げ遅れる。追い詰められて半裸のままなんとか廊下に出て、二階の吹き抜けからロビーへと飛び降りるが、男の発砲したリボルバーの弾が首の左側に命中する。私は床に倒れ込む。古い銃だったせいか弾が貫通せずに首の右側の肉の中で止まっている。そのおかげで出血も大したことはないが、弾がずれたり無理に取ったりすれば大出血はまぬがれない。急いで静かに病院に向かわなければ。ホテルの人に車を出してもらう。首に弾の感触がはっきりあって気持ち悪い。ものすごく厄介な痰が喉に絡まっている感じだ。あと血が喉をつたって落ちていくのも気持ち悪い。病院で手当を受け、ひとまず命は助かったところに知らせが入る。あのホテルにいたアカデミー賞受賞者のひとりで、まだ若い女優が撃たれて亡くなったそうだ。同じように撃たれた私は偶然助かったのにこの差。首の怪我はあるものの、彼女の弔いに向かうことを決める。ホテルの人も車で戻ると言うのでまた乗せてもらう。ホテルに向かう道は大渋滞で、まわりは女優の男性ファンばかりだ。怒号、垂れ幕、プラカード、クラクション、乱闘、みんなずいぶん楽しそうに若い女優の死を悲しんでいる。車はちっとも進まない。

つげの櫛を見出す話

昨日急につげの櫛がほしくなった。あの江戸時代の娘さんが使っていそうな木の櫛だ。どういう訳かその日ツイッターや書籍で立て続けにつげの櫛を見かけたのだ。ありませんか?遭遇率の低い言葉にやたらぶつかる日。そういうのもバイオリズムっていうのだろうか。
 
なんでもつげの櫛は大事にすれば何十年ももつらしい。椿油をふりかけて手入れをするらしい。それで髪をとかすとサラサラになるらしい。らしいらしいと聞いてやってみたくなった。ここ何年もショートカットだった。ショートカットは楽ちんだ。手ぐしでほとんど事足りる。寝癖がひどい時でも水でちゃっと濡らしてドライヤーブオーとやって終わりである。いやちゃんとセットしてるショートカットの人いっぱいいると思うけど、私は無精者なので、あと髪質がわりと素直なので櫛がなくても困らない。一応ちゃんとする日には高校生の時買ったプラスチックのブラシを使っている。ところがここ数ヶ月散髪をほったらかしていたせいで髪型がボブに近づいてきた。ボブっていうか、今の髪型を一言で説明すると「バイトとヒモで食いつないでるインディーズバンドのベーシスト風」だ。そんなこと言ったらベーシストの人が怒るだろうか?でも本当に見たことあるんだもん。前髪で目が完全に隠れてるベーシスト。ヒモかどうかは知らないけど。で、手ぐしでは持て余すようになってきて、突如として(いや、徐々に)櫛の必要性が生じたという訳だ。そこにつげの櫛の概念が現れたので、「あ。ほしい。つげの櫛」となったのである。
 
私のほしいつげの櫛の姿がぱっと頭に浮かんだ。まず柄のついてないやつ。持ち手に彫られた清楚な花。歯は多すぎず少なすぎずいい感じ。長さ三寸ほど。想像が働きすぎて単位まで古くなってしまった。
 
ほしいものの姿がはっきり見える時、その通りのものが見つかることはまずない。それでも一応ネットで検索してみたら、かわいいつげの櫛がわんさと見つかった。自分の理想通りとは言わないが、どれもすごく素敵だ。ただし、高い。私なんかが持つものではないと思った。少なくともなんの口実もなく買うものではなかった。
 
しょんぼりしてつげの櫛のことは心の中の「いつか買いたいとは思うが今ではないBOX」にしまった(この箱にはたくさんの物が入れてある)。で、今日爪切りで爪を切ろうと思って、わが家の衛生箱をガラッと開けたら櫛が出てきた。
 

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昔風の木の櫛。まばらでも詰まり過ぎでもない歯。片隅に書かれた「本つげ」の文字。驚いた。花の彫り物こそないけれど、昨日ほしいと思った物がもう手に入った。というか、最初から家の中にあったのだ。衛生箱には爪切りの他に軟膏とか毛抜きとか耳かきとかがごちゃごちゃと入っていて、つげの櫛もそこに紛れていた。私は10日に一度は爪を切る。その度につげの櫛も目にしていたはずだ。必要なかったからちっとも気づかなかった。一度意識すればつげの櫛を見出すのはなんでもなかった。
 

 

母に聞くとこの櫛は父が小学生だった頃の修学旅行のおみやげで、おそらく祖母のために買ったものだが、巡り巡って結局うちに来たのだそうだ。ざっと45年前の櫛ということになる。髪をといてみたらぴかぴかの艶が出た。髪をとかす習慣がないから比べようもないけどなかなかいいようだ。
 
明日椿油を探しに行こうと思う。いつも行くドラッグストアにあるといいんだけど。

電気グルーヴ『TROPICAL LOVE』

 
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やーもう最高です。本当に素晴らしい、よかった、よかった、これからもがんばってやっていきたいですね。
 
何がって電気グルーヴの新アルバムの話で、いつも以上に要領を得ない文章になると思うから別に読まなくていいけど聞きたて一週間の今の感想を書いておきたい。ほらアルバムって聴き込んでいくとお気に入りの曲が変わっていったりするでしょう。
 
さて、一週間前に電気グルーヴの新譜が出た。ずいぶん前から待っていた。そしてそれが期待以上によかったので私はとても嬉しい。
 
ここ数年の電気グルーヴの歌詞は意味を脇に置き、発声した時の気持ちよさに重点があって、それはそれで好きだった。けれど私は不穏で断片的な風景を幻視するような曲に共鳴する方で、一番好きなアルバムは『VOXXX』だ。あと売上的には振るわなかったという(わかる)『ORANGE』もけっこう好きだ。と言えば、大体電気グルーヴのどういうところに惹かれるのか、伝わる人には伝わると思う。
 
そうそう、さんざんいろんな人が言っているけれど、今回のアルバムは『VOXXX』に少し似ている。それも回帰や退行ではなく、しっかり今現在の電気グルーヴと両立している。ひたすら山路を歩いてふと脇を見たら、眼下に懐かしい街の眺めが広がっていた、みたいな。生まれたばかりの姪っ子に祖母の面影がある、みたいな。
 
電気グルーヴの歌詞には不穏な風景がある、とさっき述べた。「エジソン電」「ドリルキング社歌」「スコーピオン」「タランチュラ」、枚挙に暇がない。それは「世界は簡単に歪みうる」という感覚だ。しかも遠いどこかの話ではない。目の前にある万年床の四畳半から世界が歪むのだ。言うまでもなく歪んでいるのは歌詞の主体たる私の認知かも知れない。そこははっきりしないまま、引力を持った奇妙な風景を凝視することしかできない。
 
その感覚が久々に帰ってきたと思った。違っている部分もある。発声して気持ちのいい言葉が選ばれているのは近年の特徴だ。むしろ音に縛られた言葉が、自由で見たことのないフレーズを導いている感さえある。以前は風景に目を奪われる感じだったけど、今はなんだか余裕があって、風景の滑稽さや美しさも同時に眺めている、と感じる。全部私の妄想かもしれないけど。これが成熟だっていうなら、そうなんだと思う。
 
歌詞のことばかり書いてしまった。曲もめちゃくちゃかっこよくて、音楽の知識も語彙も少ないからめちゃくちゃかっこよくてよかったですしか言えないけど…。今度ライブも行くんですけど、多分友人たちには想像もできないほど飛んで跳ねて叫んで全身の筋肉が終わってしまうだろう。「人間と動物」のツアーの時そうだったから。
 
今一番好きなのは「顔変わっちゃってる。」です。いやでも迷うな。「人間大統領」の「コンビニ袋にスタンガン」とかもう俳句の域じゃんって思うし。「プエルトリコのひとりっ子」なんてほぼ谷川俊太郎だし、「柿の木坂」はもう電気グルーヴっぽさがふたまわりくらいしてボケてるのか泣いてるのかわかんなくなるし、「UFOリック」もいい気分になるし「ヴィーナスの丘」の夏木マリもめちゃくちゃいいしな…捨て曲がいっこもない。困った。困らない。このアルバムの曲ぜんぶ握りしめて明日もやっていきたい。