「ハンス、おかえり、私の息子」
小さなハンスは旅に出た。よく似合う帽子と杖を持って。涙をこらえて母さんは言った。「無事でね、早く帰ってきてね」ハンスは7年世界を旅した。ある日家に帰ろうと思い立った。たくましいハンス、もう小さくはない。故郷のみんなは彼に気付くだろうか。帰ったハンスに誰も気づかない。「この人、誰?」と妹さえも。母さんが来てすぐこう言った。「ハンス、おかえり、私の息子」
「開」と「 」
最近仕事でよく行くビルがある。そこそこ名の知れた企業の本社ビルなだけあってすべてに如才がない。受付の女の人はいつも丁寧で正確だし、ガードマンのおじさんも通り過ぎる人たちに「こんにちはー、こんにちはー」と穏やかに話しかけながら注意深く相手の顔をちらっと確認する。でもそこのエレベーターはちょっとだけ変わっていて、「開」のボタンはあるけど「閉」がない。ないっていうか、ボタンそのものはあるんだけど「閉」という文字が書かれておらず、空白になっている。「開」と「 」というボタンが並んでいるのだ。最初にこのビルを訪れた時は自然に擦り切れたのかなと思った。並外れてせっかちな社員がいて、毎日毎日、爪の伸びた指で「閉」を100回くらい連打して文字を消してしまったのではないか。ところが何度か通ううちに、そのビルにある6基のエレベーター全部で「閉」が空白になっていることに気がついた。なんだかちょっと気持ち悪く思った。「開」「閉」並んでいれば特に印象に残らないエレベーターなのだが、ボタンの空白に「閉」の字を拒絶する誰かの強い意志がこびりついているように感じた。このエレベーターを発注した人がじっくりと検討した上で文字をのせないことに決めたに違いなかった。「ここのエレベーターって閉のボタンに文字がありませんね、なんでですかね」と打ち合わせのあとで訪問相手に尋ねてみた。その人はそういえばそうですねえ、と驚いたみたいに言ってから「押し間違えないようにとか……?」と答えた。なるほどなあ。確かに「開」と「閉」はよく似ている。象形文字の弊害だ。片方を空っぽにしておけば押し間違えて扉の間に人を挟む心配はぐっと少なくなる。思いついた人は頭がいい。頭がいいんだけど、その人のせいで私はこのビルのエレベーターに乗るたび居心地の悪い思いをしている。「閉」、いや「 」を押してもボタンが作用しているといまいち実感できないのだ。ちゃんと早めに閉まるような気もするし、自然に閉まる場合と変わらないような気もする。自分の感覚があまり信頼できない。文字が書かれていないだけのことなのに。それでもそのエレベーターに乗るたびに、私はおまじないのような気分で「 」のボタンを押している。
ジュピター、ミールス、宇宙の味
週末、新幹線で東京に行ってきた。主な目的はコミティアだったが、これについてはまた後日書くとしてサブの目的の話をしたい。この東京行の隠れたコンセプトは「食い物の恨み晴らさでおくべきか」だった。自分ひとりしかいないから隠れも何もないのだが、「ずっと食べたいのに東京でしか食べられないものをこの際押さえておこう、なぜなら人は必ず死ぬから」ということだ。一日目、土曜日はタダシヤナギというケーキ屋さんのジュピターというケーキを食べた。
Twitterでケーキめちゃくちゃ食べている人が言及していたケーキで、その名前、その見た目にずっと憧れていた。都立大学駅で降りて近くの百均でフォークを買った。電車の中でお店を調べたらイートインがないとわかったからだ。そこからお店までしばらく歩いた。ジュピターは最後の一個だった。危なかった。紙箱に包んでもらい、会計をして、腰を下ろして食べられそうな場所を探した。公園などはなく、近くに緑道があったのでそこへ向かった。緑道といっても道の真ん中にコンクリートの中洲みたいなのがあって、そこに妙ちきりんなカブトムシやテントウムシの姿をした遊具というかコンクリートの塊があった。
そこに座ってジュピターを食べた。表面に丸い模様が描いてあって木星の模様に少し似ている。外側のチョコレートはフォークですくうとヌテッと重くて、舌にくっついて暗黒物質みたいだった。中身は一番下がチョコレートのスポンジケーキ、その上にチョコレートムース、真ん中には紅茶のクリームが詰まっていた。紅茶の香りがチョコレートによく溶けて、これは宇宙の真空の部分みたいだった。あっという間に食べ終わって、フォークでトレイをきれいにすくい、行儀悪いけど誰も通りがからなかったので指でチョコレートをすくいとって食べた。宇宙の味がした。
その日は安宿に泊まって、午前中コミティアに行き、東京駅まで戻ったついでに八重洲地下街のエリックサウスに行った。エリックサウスもTwitterでカレーめちゃくちゃ食べてる人が言及していたカレー屋だ。これでわかったと思うが私はわりとミーハーなところがある。で、ランチタイム終了のギリギリ2分前に駆け込んで「ランチまだいいですか?(いいですよね!?)」という首尾でありついた。ミールスという南インドの定食が売りで、カレー1種のレギュラーミールスとカレー2種のエリックミールスがあった。朝からスナックしか食べてなかったのと、滅多に来られる店ではなかったので2種の方にした。そしたらこれが来た。
多い。完全に多い。ご飯が2種類ふた盛りされている。少食ではないと思うが大食漢ではぜんぜんないので少し怯んだ。このタイプのカレーは時々食べることがあって、いつも大きい丸から小さい丸を全部出して最初はご飯にそれぞれを少しずつかけて食べ、徐々に混ぜて最終的には全体を均等に混ぜ込んで味の変化を楽しむ。お話を作っているみたいで最近このタイプが好きなのだがこれは。一大巨編だ。だって丸がたくさんあるしご飯は2種類あってダブル主人公の様相を呈しているしその他にも豆のドーナツやら豆のおせんべいやらといったサブプロットが用意されている。私の怯みは物的量というより情報量に向けられて、造物主としてこれを回していけるかしらと思った。ご飯を平らに崩しておせんべいを砕いてまき、最初は円グラフみたいにカレーを盛り付けた。そこからは一気呵成に食べた。カレー1カレー2お惣菜お惣菜薬膳スープカレー1豆ドーナツお惣菜おからみたいなやつ薬膳スープ、恐怖の源がだんだん物的量にうつってきてほっとした。すべてのカレーと米と惣菜は渾然一体となりエントロピーが増大して混沌ができあがり、最終的に宇宙化した。
食べ終わったあとしばらく動けず(物理的に。胃が重すぎて)じっと座っていた。駅に向かう道で意識が朦朧として脚がびりびりしびれて体調不良かと思ったが、よく考えたら満腹だった。満腹になったことがなさすぎてわからなかった。その日は晩御飯のご飯をさすがに抜いた。
こうして2日連続で宇宙の味のものを食べた。宇宙とか食べたことないからほんとは味がわからないけど、まあぜんぶ宇宙から生まれたんだし宇宙の子が宇宙の一部を食べたといっても嘘にはならないでしょう。
Yシャツと赤ペン
今日職場のデスクで伸びをしたら右肘がベリッ、と鳴った。おやっと思って右腕をひねってみたがカーディガンはなんともない。作業を再開し、結局すぐに気になってカーディガンを脱ぐとその下のYシャツの肘が大きく裂けていた。びっくりした。だってなんの兆しもなく伸びをしただけで裂けるなんて。まあユニクロだしもう3年、下手したら4年ほど季節関係なく着ているのでとくに悲しくもない。生地がへたっていたのだろう。でもどうして右肘なのかなと思って原因をいろいろ考えた。まず私はこの4年間、ほぼ一日中ノートパソコンに向かう仕事に従事している。そしてその時間の7割程度はキーボードをタイプしている。タイピングの間、肘はデスクの表面に触れているから私の服の肘部分はどんどん摩擦で弱っていくことになる。さらに私は右手でマウス操作をするので右肘に余計に負荷がかかり、こうして私のユニクロYシャツは真っ先に右肘が裂けてしまう。なるほどな、と思う。塵も積もれば山となる、雨だれ石を穿つというやつだ。そういえば同じような現象に心当たりがある。校正する時はいつも同じ赤ペンで、インクがなくなっても芯だけ入れ替えて使っていたのだけれど、ある時その赤ペンが折れたのだ。ちょうどクライアントから来たあまりにも不合理で乱雑でコンセプト無視の修正を清書していた時だったから、怒りで必要以上に強く握りしめていたかもしれないけど、まさか折れるなんて思わなかった。私は筋肉ダルマではない。どちらかというとあらゆる筋力が弱いもやしっ子である。毎日の理不尽な修正作業が積もり積もってまっぷたつの赤ペンへと結実したのだ。この2つの話からわかるのは、毎日同じことを続けると時にとんでもないことが起きるということで、実際学生の時はこんな現象に合わなかった。毎日それぞれ全然違うことをして過ごしていたからだ。このままだとどんどん偏ってゆがんで最後は異形のものになってしまいそうだ。愉快な気もするし恐ろしい気もする。